「産まなければいい」という暴言
他方、子供だけでなく親にも厳しいのが、現代の日本です。「もっとあらゆるものを手作りして、子育てに時間をかけるべき」「親は子に手をかければかけるほどいい」などと他人に価値観を押し付けられるのはよくあることです。
子育ての愚痴をSNSに書けば「産まなければよかったのに」という声が集まることも。そんな愚痴も許さない人は、自分は仕事の不満を口にすることはないのでしょうか。愚痴を言うことが悪いとは限りませんし、実際に産む前には子育ての全てをわかりようもありません。「産まなければよかったのに」と言われたところで、時間を戻すことはできないし、そんなことを言われた人が不快になるだけで、なんの役にも立たないのです。人の環境はそれぞれで、大変な時も楽な時もあります。
また、私が問題だと思っているのは、さまざまな育児ビジネスです。母乳が十分に出ない、トイレトレーニングが進まないなど、育児にまつわる何かが理想通りに進まないときに「このままだと大変なことになる」とほのめかし、問題を解消するという根拠もないサービスを買わせるビジネスがたくさんあるのです。親を脅したり自己犠牲を強いたりする姿勢はいいと思えません。
子育てや家族に関する考えが古い
親子へのさまざまな負荷に加え、お父さんは・お母さんはこうあるべき、子供はこうあるべき、女の子は・男の子はこうあるべき、夫婦は同姓であるべき、異性同士でないといけない、こういった決めつけは幸せな家族の数を減らし、子供の数を減らすと思います。
特にお母さんはお父さん以上に「何があっても母親なのだから我慢すべき」などと言われがちです。保育所で配られたフリーペーパーに、「ある一家の典型的な一日」としてタイムスケジュールが書いてあったのですが、お母さんだけ午前3時起床で睡眠時間は5時間半、お父さんは7時間と書いてありました。いくらなんでも負担が偏りすぎです。
「昔は良かった」「伝統的な子育てに戻れ」という人がいますが、そもそも日本の伝統とはいつの時代のどういうものを指すのでしょうか。同性同士の恋愛は鎌倉時代以前にあったと記録されていますし、江戸時代には母親だけでなく父親も子育ての当事者であり、コミュニティー全体が子供を育てていました。一方、昔は今よりずっと子供の人権がなく、生活に困った親が子供を手放すことはめずらしくなく、さほど非難されませんでした。『日本書紀』にも子供を売買する話が出てきます。昔のほうが全て良かったとは言えません。