ロッカー室で残業し、徹夜の場合は給湯室で頭を洗っていた

赴任から3週間が経過しても、私は担当先をもらえなかった。副支店長が見るに見かねて課長に注意してくれた。

「目黒君は宮崎中央支店で実績を上げている。仕事をさせる環境にするのが課長の仕事だろう」

真鍋課長は34歳。順当に出世していた。以前はビジネスマッチングをつなぐ部署におり、法人営業のスペシャリストとしてここにやってきていた。すでに2度の離婚歴があり、3人目の妻がいた。相手はいずれもF銀行の行員だった。課長は副支店長からの指摘が面白くなかったのだろう。自分のチームのメンバー10名を集めて、こう言った。

「おまえら1人3社、こいつに担当先をくれてやれ」

営業3課は、新規開拓以外の業務も扱う。各営業マンの担当先のうち、開拓の見込みがなかったり、開拓できたものの扱いづらかったりする3社ずつが選ばれ合計30社が私にあてがわれた。担当先はさいたま市に点在し、移動は極めて非効率だった。仕事は過酷だった。

報告書や稟議りんぎ書の作成に途方もない時間と労力がかかる。労使協定により、夜9時30分を超えての残業はできないため、私は支店が入居するテナントビルのロッカーの一室で残業した。できるだけ終電に間に合うようにしていたが、それでも徹夜が続くこともあった。コンビニでシャンプーや下着を買い、寒い冬の日も、給湯室で洗髪して体を拭いていた。

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嫌われてナンボのミッションをこなす同期

「ふざけんなよコイツ!」。同期の夏久君の声がする。彼は取引先6課。企業に貸した融資の回収から帰ってきたのだ。

夏久君は六大学の体育会出身で、まずF銀行創業者が最初に建てた支店に配属された。人事部の期待ぶりがうかがえるエリートコースだ。しかし、そこでつまずいたのか、それとも学歴が見劣りしたのか、けっしてエリートコースとはいえないこのさいたま新都心支店の、それも債権管理担当として赴任してきた。

花形ともいえる1~3課に対し、5~6課は日陰の部署。6課への着任はエリートコースを走ってきた夏久君にとっては思わぬ蹉跌さてつだったのかもしれない。

バブル期、銀行は狂ったように融資を拡大した。バブルがはじけ、回収不能となる不良債権が雪だるま式に増えた。銀行の業績、財務状況はみるみる傷んでいった。そんな中、夏久君の所属する取引先6課は取引を止め、撤退していく守りの担当といえた。

彼らの立場では、お客の役に立とうとか喜んでもらおうとか、そんな発想は生まれない。嫌われてナンボ。嫌がられてこそ別れられる。離婚前の夫婦のようなものだ。債権回収をミッションとされた夏久君はひたすら嫌われ役として成長した。