栄華を極めていた回収係に突然訪れた「冬の時代」
7月1日。年に一度の昇給昇格発表の日がやってきた。前日までに内示を受けるため、その声がかかっていないならば昇格はない。昨日まで呼ばれなかった私に昇格がないことはわかっていた。
昼休み、食堂の隅にある自動販売機の前で夏久君と鉢合わせした。
「目黒、昇格は?」
「俺はなかったわ。夏久君は?」
「課長代理。当然だろ。俺がこの銀行にいくら利益をもたらしてやってると思ってるんだよ。2年も足踏みさせられたことのほうが納得いかないね」
2000年代に入り、都市銀行が三大メガバンクに収斂された。F銀行はM銀行になった。公的資金注入で不良債権処理にメドがついてくるとITバブルがやってきた。
社長はTシャツにジーンズ姿。会社の業務内容を聞いてもよくわからないが、利益だけはめちゃくちゃ出ている。銀行は、10年前に融資をしてほしいと言われたら即座に断っていた会社にどんどん融資せよという方針に急転した。
3つのメガバンクは競うようにアクセルを踏み込み、業績は急回復していく。栄華を極めていた回収係にとっては、突然冬の時代がやってきた。夏久君が評価された時代に急に幕が下ろされたのだ。
しかし、夏久君も少々調子に乗りすぎていた。2人の経営者が自殺に追い込まれた不幸を、あたかも自分の勲章のように話していた。家族の思い出や苦労が詰まった家を、無理矢理競売にかけてきた。
法人営業に異動し、ノイローゼになってそのまま休職
ITバブルの真っ只中、夏久君は都内の下町支店に異動となった。
このころ、すでに大口の不良債権の処理は片付いており、彼の担当は取引先課の法人営業だった。口座開設すら受付したことがない彼は、まったく使い物にならなかったようだ。心の通ったつきあいが重要なエリアで数字を上げられなかった。
彼は連日、私に電話をかけてきては、ごく基本的な事務処理の手順を質問してきた。私もできる限り答えた。成績が上がらず、支店長からパワハラ同然の仕打ちを受けていると打ち明けた。それから数カ月ほど経つと、夏久君からの電話が途絶えた。後輩から漏れ聞いたところ、ノイローゼになり休職したらしい。
さらに数カ月して、人づてに夏久君が復職したあと、M銀行系列のリース会社に出向したと聞いた。それ以来、彼は二度とM銀行に戻ってくることはなかった。彼は時代の変化に翻弄された。銀行は社会、経済情勢に左右される業種だが、ひとりの行員の人生までも変えてしまう。もちろん私もその中のひとりなのだ。
年が明け、支店長は私を呼び出した。「異動だ。愛知県の豊橋駅前支店に行ってくれ。新天地では頑張れよ」
突然の通達だった。私はここさいたま新都心支店でなんの成果も上げられなかった。チャンスをくれた宮崎中央支店の青田支店長にただただ申し訳なかった。入行10年がすぎ、私はいまだヒラ行員のままだった。