イノベーションの3つの条件

楠木 建●一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授。1964年東京生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より現職。専攻は競争戦略とイノベーション。日本語の著書に、『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『知識とイノベーション』(共著、東洋経済新報社)、監訳書に『イノベーション5つの原則』(カーティス・R・カールソン他著、ダイヤモンド社) などがある。©Takaharu Shibuya

菊池はこのトランジスタ技術に出会ったとき、これこそが「イノベーション」であると即座に理解した。なぜなら、この技術は菊池が考えるイノベーションの3つの要素をすべて満たしていたからだ。

一つは「全く新しい概念であること」。トランジスタは「結晶の中の電子」を利用した増幅器である。結晶の増幅作用が発見されるまでは、「真空管の中の電子(能動素子)」を使って信号を増幅する回路をつくっていた。同じ電子といってもこのふたつは全く異なる性質をもつ。シュンペーターの有名な言葉にあるように、「馬車を何台つなげても、蒸気機関車にならない」。非連続的な変化こそがイノベーションなのである。

2つ目の条件は「それが社会生活の非常に広い範囲にわたってインパクトを与えること」、そして3つ目が「そのインパクトが短い期間に強烈に現れること」。トラジスタはこれらの3条件をすべて満たしていた。

1947年にアメリカで誕生したトランジスタ技術はそもそも軍事技術であったため、重要機密扱いとされた。記者発表されたのは翌年1948年である。奇しくも菊池が大学を出て電子技術総合研究所に入った年であった。敗戦からまだ3年、設備も貧弱なこの研究所で、菊池は当時最先端技術であったトランジスタの追試実験に夢中になる。その実験を通じて、菊池は日米間の技術力の格差を思い知った。日本が「米国に追いつく日が来るなどという楽観を全く一かけらも持ったことはなかった」と菊池は述懐している。当時の日本にとってのトランジスタ技術は、「真似出来るとしたら、それだけで大したもの」だった。その雲の上の技術を使いこなすことでエレクトロニクス産業が発展し、日本を経済大国の一員に押し上げたのである。それが可能だった理由はなにか。これが菊池の問題意識である。

ここで菊池は2つ重要な指摘をしている。一つはスイスとの比較だ。スイスは高い技術力をもっており、特に機械工学のレベルは抜きん出ていた。なぜスイスがこれほどの技術力をもちながらトランジスタをものにできなかったのか。それはエレクトロニクスという技術を実際以上に低く見たからだ、というのが菊池の見解である。つまり機械に強かったゆえにエレクトロニクスにそもそも関心がもてなかったというのである。戦後の日本がトランジスタを出発点に、エレクトロニクス技術の発展にのめり込んでいった理由は、「ほかにこだわるものを持ってなかった」からだと菊池は考える。