ロシア人の戦争観
拙著『地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理』(PHP新書)でも詳しく解説したが、ロシア国民の立場を理解するためには、ロシアにおいて支配的な考え方、ロシアン・イデオロギーと呼ぶべきものについて考察することが必要である。
まずロシア人にとっての戦争とはどのようなものなのかを考えてみたい。
我々日本人は第2次世界大戦、連合国による占領を経験して、平和を掲げる国家として再生した。従って、戦争は国際紛争を解決する手段としては放棄するとの立場をとっている。また、国連も平和と安全を守るという目的を持ち、武力行使を原則的には禁じている。日本では戦争は決して起こしてはならないものだという認識が一般的となっている。
しかし、ロシアでは若干事情が異なる。
もちろん、ロシアでも戦争は望ましいものではなく、できることならば避けたいと考えていることに変わりはない。第2次世界大戦でソ連が被った人的損害は2000万人以上といわれ、文字通り桁違いの犠牲者を出しているのである。
それでもロシア人は、日本人のように戦争をタブー視していない。それを示す好例が、法律によって定められた19に上る「軍事的栄光の日」だろう。
法的に刻まれ、受け継がれてきた
それは、13世紀のドイツ騎士団との戦いから始まり、14世紀のモンゴル・タタールとの戦い、18世紀のスウェーデンとの大北方戦争、二度にわたるロシア・トルコ戦争、19世紀のナポレオンとの戦い、クリミア戦争、そして第2次世界大戦の主要な戦闘まで続く長いリストだ。中には、対日戦争勝利に関する「第2次世界大戦終了の日」もある。
このようにロシア史における数々の戦争は法的にも記憶されているのである。
戦争は多大な犠牲を伴うが、それは祖国の防衛という輝かしい行為でもある。従ってそれは記憶され、語り継がれ、追体験されなければならない。そうすることによって、ロシアという国の偉大さと誇りを受け継いでいかなければならない、ということだ。
こうした戦争観は、ロシアの国家観と密接に結びついている。
専制、ロシア正教会、国民性の3本柱
近代的なロシアの国家観は19世紀の前半期に、特にニコライ1世(在位:1825~55)の治世に形成されていった。それは、ロシア・ナショナリズムと皇帝専制主義との結合を特徴とするイデオロギーである。
ヨーロッパではフランス革命に端を発するリベラリズムの思潮が勢いを見せている中、ロシアはそうした動きを武力介入も辞さない構えで牽制したため、ニコライ1世は「ヨーロッパの憲兵」と恐れられた。