「僕は下着で体を拭いて、タオルを履くの?」
ある日、仕事から帰った夫のためにお風呂用のバスタオルと下着を準備していましたが、シャワーを済ませて出てきた夫が私に言いました。「僕は下着で体を拭いて、タオルを履くの?」バスタオルの上に下着を置くのは順番が逆だという意味で、彼の気性を象徴するような言い回しでした。
そのとき、私が抱えていたちょっとした違和感の輪郭がはっきりしてきたように思います。彼と私の関係性は夫婦、家族ではなく、上司と部下のようなものだな、と。彼から不本意なことを言われると、移住当初は私が激しく反論するため言い合いになることもありましたが、そのときは「ごめんね。」としか言いませんでした。
外国でメイドさんやドライバーさんがいる生活をしていると聞くと誰もが憧れるのかもしれないし、その生活に不満を持つようになったと言うと単にわがままなだけだと思われるかもしれません。
それでも自分の非力を感じる日々は苦痛で、もっと生きている手ごたえのある日々を送りたいと思うようになり、ひとつの提案をすることにしました。また上司と部下のような会話になるのが億劫だったので、シェムリアップに行って施設の運営に関わりたいとシンプルに告げました。
「治安の悪いプノンペンよりそのほうが安全だし、自分も安心して毎日仕事に行ける。週末には会いに行くから」と拍子抜けするほど簡単に承諾されました。余計なことは省いて伝えたのがよかったのか、無用な争いは回避できました。
夫には合掌をして仰々しく挨拶
いよいよ引っ越しの日、プノンペンからシェムリアップまでは車での陸路移動でした。当時は飛行機か船ぐらいしか移動手段がなかったけれど、私がシェムリアップでも息子を連れて自由に動けるようにと車を1台準備してくれたのでした。振り返ってみると高収入の夫のサポートなしで自分のやりたいことにはたどり着けていなかったのだと思います。
夫に与えられたその車に乗り込み、夜明け前のプノンペンを出発しました。現在は長距離バスで約6時間の道のりですが、当時シェムリアップにつながる国道6号線は想像を絶する悪路で、私たちが施設に到着したのはお昼過ぎになっていました。
車が施設の敷地に入ると20名ほどの子どもたちが車を取り囲みました。夫にカンボジア式の合掌で仰々しくあいさつをする姿を見て多少の違和感を覚えましたが、私にはニコニコしながら「おかあさん!」と人懐っこく近づいてきました。息子はあっという間に敷地内に1軒だけあった高床の小屋の中に連れていかれ、代わる代わる抱っこされていました。その様子を見ていると、その後も安心して子守を任せられそうでした。