被爆者の目撃した光景を高校生が描くプロジェクト

宮崎園子『「個」のひろしま 被爆者岡田恵美子の生涯』(西日本出版社)

今や、誰もがスマホですぐに写真を撮れる時代だが、当時はカメラすら珍しい時代。そのときの様子は、一部の従軍カメラマンや米軍関係者らによって写真として残されているが、きのこ雲の下でなにが起きていたのかを視覚的に示す資料は、当然のことながらほとんどない。

そうした中、原爆資料館は、広島市立基町もとまち高校普通科創造表現コースの生徒の協力のもと、被爆者が目撃した光景を、聞き取りをしながら引き出して絵にするという「高校生が描く原爆の絵プロジェクト」に取り組んできた。被爆者が証言の際に、資料として使うことで、聞く人たちの理解が進むことにつながるほか、被爆者と高校生との交流を生み、被爆体験の継承にも貢献してきている取り組みだ。

恵美子もそのプロジェクトに協力し、多くの高校生たちが、恵美子の脳裏に焼き付いた光景を、絵筆で再現してきた。

基町高校の子が、私の経験を絵に描いてくれることになったんですよ。狂ったように火が追いかけてくるとか、鬼のように火災が発生したって言っても、十五歳の子にはそんな家が燃え盛ってるようなのを見た経験がないから、なかなか理解できない。一年ほどかけて、何回も何回も描き直してくれました。

死体を見たことがない子にいかに伝えるか

ゲートル、もんぺといった言葉すらピンとこない世代。一緒に資料館に行って説明をしたり、参考になる資料を見てもらったりして、なんとか時代の空気を知ってもらおうとした。

言葉だけでは原爆のことを表現するのにイメージが全然湧かないんですよね。死体を見たことないんだからね。身内の人でお葬式した時なんかはちゃんとお棺の中に入ったものは見たことあるよっていうような、そういう感覚ですからね。

だから黒焦げでやけどした、物体と同じように転がされてたって言っても死体がイメージできないんですよ。だから何度も何度も、表面だけのやけどじゃない、もう本当に赤黒くススもホコリも血も全身出てるいうような話をして。もっとすごい、もっと強烈なって言っても血の色すら最初はピンクで描いてたり。優しいんですよ、生徒さん。そんなんじゃなくて、もう赤黒くって真っ黒に近い赤だったって言って何度も何度も塗り替えてもらって。

そのときに、「助けて」って言った子どものあの目が忘れられんって言ったんですが。最初に描いたのは可愛いイラストのような目でね。そんなんじゃないよ、もうすがりつくように助けてって言ったときのあの目っていうのはほんとに忘れることができんって言ったら、先生もサポートしてくださって迫力というか哀願するような目にしてくださって。あの当時を思い出すような目になってたからね。

何度もお礼言ったんですけどね。現物は市に寄付されているけど、レプリカをもらってます。証言活動のときのスライドにも入れてますしね。言葉だけじゃあイメージがわかないから。