広島・長崎に落とされた核兵器の被害とはどんなものだったのか。被爆体験証言者を取材してきたジャーナリストの宮崎園子さんは「被爆者の岡田恵美子さんは、生涯にわたって、当時の光景を語り続けていた。それは、同じような被害を絶対に繰り返してはいけない、という強い決意があったからだろう」という――。
※本稿は、宮崎園子『「個」のひろしま 被爆者岡田恵美子の生涯』(西日本出版社)の一部を再編集したものです。
世界に1万2000発以上…誰にとっても身近な核兵器
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の様子が、毎日毎日、手のひらのスマホに飛び込んでくる。長年、被爆体験証言者を取材してきた私は、これまで広島や長崎の人たちが訴えてきたことはなんだったのだろうか、と虚しくなる。
どういう状況であれ、核兵器は使ってはならないし、核兵器による威嚇は正当化されない。そのメッセージは届いていなかったのだろうか。それでも、私たちは言い続けなければならない。言い続けるだけではなく、具体的な行動によって、核兵器を否定し続けなければならない。
なぜなら、核兵器は今、世界中に1万2000発以上も存在しているからだ。それぞれ、広島や長崎に米軍が投下した原子爆弾の数千倍もの威力があるものだ。そういう世界に生きている以上、核兵器の問題は、広島・長崎のみならず、日本中の、そして世界中の誰もにとって、本来「我がこと」であるはずなのだ。
広島・長崎で起きた惨禍を、その体験者である被爆者たちだけのものではなく、それを許さないと考える私たちが、自分たち自身のものにしていかなければならない。本稿では、核兵器廃絶のために国内外で精力的に自身の被爆体験を伝える活動を行い、2021年4月、その会合中に椅子に座ったまま亡くなった岡田恵美子さんの証言を紹介する。