お城まるごとの移動

参勤交代では、藩主は駕籠かごに乗っているのが通例である。警護する方としては駕籠の中に居てもらった方が助かるが、藩主からすると、駕籠に乗ったまま道中を続けるのは苦痛だった。前出の浅野長勲も、駕籠の中は薄い布団が敷いてあるだけで楽ではなかったと語っている。

そのため、駕籠に乗り疲れると馬に乗った。藩主率いる団体旅行に馬も加わっていたことは、別に不思議ではない。そもそも、何か危険が迫った場合、藩主をその場から速やかに立ち去らせるため、馬も同行させたのである。

ただし、馬を同行させるとなると、そのくつわを取る口取の者も必要だ。飼葉や飼葉を持ち運ぶ者も必要であり、馬小屋も藩主と一緒に移動していた格好だった。馬一頭連れていくだけで行列の人数はさらに増え、予備の馬も用意されたため、その分行列の人数は増えていく計算となる。

予備があったのは駕籠も同様である。破損した場合に備えて持ち運んでいたが、となれば担ぐ人足も必要だった。

重すぎる……幅が三メートルもある鉄の延べ板

囲碁や将棋の道具など、藩主の無聊ぶりょうを慰める娯楽用具も携帯され、鷹狩りで活躍する鷹も同行していた。

安藤優一郎『江戸の旅行の裏事情』(朝日新書)

この時代、鷹狩りは藩主が野外で楽しむスポーツ感覚のレクリエーションとして人気が高かった。休憩時、気分転換を兼ねて鷹狩りを楽しんだのだろう。

そのため、鷹を調教する鷹匠も同行させなければならなかった。鷹の餌を入れる餌箱も持ち運ぶことになるだろう。

紀州徳川家の事例だが、道中では幅が三メートルもある鉄の延べ板を運んでいたという。宿泊した本陣で藩主が寝る床の下に敷くためだ。

床下に刺客が忍び込んでも、藩主に危害が及ばないようにする措置である。となれば、延べ板を運ぶ人足も必要となる。

参勤交代の行列が大人数になったのは警固の藩士の数が多かったからというよりも、城がまるごと移動するかのように、藩主の日々の生活に必要なものを一切合財持ち運んだことが一番の理由なのである。

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