浮気がばれ、妻と別居

そうして15年、部長まで務めて役職定年を迎えた58歳の田中さんは、ようやく沈痛な面持ちで打ち明けてくれたのだ。そこには予想していなかった展開が含まれていた。

「年齢とともに、またストレスの多い管理職の重責を担うにつれて……そのー、弱くなってほとんど使いものにならなくなっていた性機能の回復に対して、過剰にこだわるようになってしまっていたんです。実際には、ED治療薬の効き目に驚き、うれしい気持ちでいっぱいだったのは使い始めて半年ほどだけで、その後は、使っても前回のように効き目がなかったらどうしようかなどと、不安がつきまとって、胸がドキドキしてきて……。もしかすると、動悸や頭痛は副作用だったのかもしれませんね。断続的に使用し、長い時で1年近く飲んでいなかったこともあったんです。でも……やはり、完全にはやめられなくて……。それで、そのー、妻にばれてしまって……別居して、もう2年になります」

最後のフレーズまで聞き終え、即座に、田中さんの身に起きた出来事についてうまくストーリーを描くことができなかった。2、3秒頭を整理し、考えが及ばずに見落としていたことに、はたと気づく。

「それはつまり……」

ED治療薬が招いた家庭崩壊

「そ、そうなんです。妻とは更年期の症状が出るずっと前から、そのー、夜のほうはなくなっていたので……風俗のお店で、薬の力を借りて元気に戻った性機能を試す相手をしてもらっていたんですが……えーと、あのー、5、6年前から、若い女性に走ってしまいまして……。家庭が壊れるときは早いものですね……」

奥田祥子『男が心配』(PHP新書)

職場の派遣スタッフの20歳代の女性との浮気が妻にばれ、妻は激しく怒り狂ったその日のうちにキャリーバッグに荷物を詰めて自宅を出ていったのだという。大学生の一人息子は離れて暮らしており、一人ではあり余る広い家にポツンと取り残された。その際の様子が脳裏によみがえったのか、田中さんは、取材場所の貸し談話室のテーブルに両手の肘をついて頭を抱えた。

妻が家を出ていってから、依存状態に陥っていたED治療薬の服用をきっぱりとやめ、女性とも別れた。そして、妻に戻ってきてもらえるよう謝罪を重ね、悔い改める旨を伝え続けたが、努力の甲斐もなく、このインタビューから2年後の17年、定年退職の1カ月後、妻から離婚届を突きつけられた。

妻との関係修復に時間を費やすため、定年後の継続雇用を選ばなかった。あと数年は働きたいと思っているが、転職は困難を極め、22年冬に65歳になる今も、無職で自宅に引きこもる生活が続いている。

「女性にはわからないでしょうが、性機能は男の証しで、とても重要なんです。でも、年を取ることに抗って、若い頃に戻るなんて到底、無理なことなんですね。そう気づいた時は後の祭りでした」

覇気を感じられないその姿は、実年齢よりはるかに年老いて見えた。