フィンランドがロシアを心底恐れる理由

【池上】攻撃を受けたウクライナの多くの都市で、たくさんの市民が地下シェルターへ逃げ込んだ、というニュースがありました。平和慣れしているわれわれは、そうした備えがあることを知るだけで驚きます。ロシアと1300kmも国境を接しているフィンランドでも戦争は現実的で、ウクライナ情勢はまさに地続きの脅威なんですね。

【増田】ロシアに支配されていたフィンランドが独立したのは、ロシア革命が起こった1917年です。第2次世界大戦中にはソ連と2度も戦争をして、合計9万人の国民が犠牲になり、領土の10分の1を奪われています。

1度目は、1939年11月に始まって翌年3月まで続いたので、「冬戦争」と呼ばれています。オーストリアを併合するなど勢力を強めているナチスドイツを恐れたスターリンが、フィンランドに領土の交換を持ちかけたのが発端です。

しかし、ほとんど人が住んでいない不毛の地である東カレリア地方をフィンランドに譲渡する代わりに、ソ連軍がレニングラード湾(フィンランド湾)を自由に行き来するうえで極めて重要となる「レニングラード湾にある4つの島とカレリア地方の引き渡し」「カレリア地方にあるフィンランドの防衛施設の撤去」「レニングラード湾の入り口に位置するハンコ半島を30年間ソ連に貸し出し、ここにソ連海軍基地の設置と兵士の駐留を求める」など、あまりにもソ連に都合がよすぎる条件でした。

編集部作成
1939年10月、ソ連はフィンランドに「東カレリア地方」を譲渡する代わりに「レニングラード湾にある4つの島とカレリア地方の引き渡し」「ハンコ半島を30年間ソ連に貸し出し、ソ連軍基地設置と兵士の駐留」を要求した。

フィンランドが要求を拒否すると、ソ連は不可侵条約を破棄して侵攻を始めたんです。フィンランドは独立は維持したものの、ソ連に領土の10%を割譲する結果となりました。国際連盟はソ連を除名しました。

ソ連が戦争を始めるときの手口

【増田】翌年、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)がソ連に併合されたため、ソ連に対する脅威はいっそう高まります。フィンランドの首都ヘルシンキからエストニアまでは船で1時間半くらいで行き来ができる距離で、目と鼻の先なんです。

1941年6月に独ソ戦が始まると、今度はフィンランドが、先の冬戦争で割譲したカレリア地方へ攻め込みました。フィンランドはソ連と戦うためにドイツの支援を仰ぎ、枢軸国側(ドイツ、イタリア、日本とその同盟諸国)として第2次大戦に参戦しました。44年9月に和平が成立しましたが、フィンランドの犠牲者は、不明者を合わせて6万6000人におよび、領土を割譲し、多額の賠償金を払う結果になったんです。この第2次ソ・フィン戦争は「継続戦争」とも呼ばれます。

【池上】ソ連が冬戦争を始めたのは、国境警備隊がフィンランド軍から発砲を受けて13人の兵士が死傷したため、という理由でした。ところがソ連崩壊後、この話は捏造ねつぞうだったことが、史料によって明らかになっています。

侵攻2日後には、親ソ連派による「フィンランド民主共和国」という国をでっち上げました。ウクライナ東部で親ロ派による共和国の独立を宣言させて、ロシア系住民の保護を口実に戦争を始めたのと、そっくりなやり方ですね。