道を聞く時に「教えてくれるだろうか」と考えるか

仕事でない場面では、さらに人のことを信じられず、自分を受け入れてくれる人は誰もいないと思う人がいるかもしれません。しかし、これまでの人生を振り返れば、そんなはずはないと思い当たるのではないでしょうか。

岸見一郎『孤独の哲学 「生きる勇気」を持つために』(中公新書ラクレ)

例えば、電車の中で救いを求める人がいたとしたら、事情が許す限り力になろうとするのではないでしょうか。

反対に、自分が助けを必要とする立場に置かれた時には、「はたして自分を助けてくれる人はいるだろうか」と考えるよりも前に助けを求めるでしょう。誰かから助けを求められたら、自分も助ける用意があることを知っているからです。実際、無視されることはないでしょう。

道をたずねる時も、「この人ははたして道を教えてくれるだろうか」といちいち考えません。もしも最初にたずねた人が道を知らなければ、別の人にたずねるだけのことです。中には立ち止まらないで通り過ぎる人がいるかもしれませんが、だからといって、これからは誰にも道をたずねないでおこうとは思わないでしょう。

条件なしに会いたいと思ってくれる人は意外と多い

このような無条件の信頼に根ざした対人関係こそが本来のあり方です。コロナ禍で、他の人が自分を会うべき人、会いたい人として選ばないかもしれないという話に戻ると、現状では誰と会うかに優先順位をつけないわけにはいきません。

しかし、外的な条件でこの人は自分にとって会うのが有利かどうかを決める人が仮に存在するとしても、そのような人の方が例外であり、むしろ条件なしに会いたいと思ってくれる人の方が多いと考えていいのです。そのような人とのつながりを感じられれば、孤独になることはありません。今は真の友人を見つける好機といえます。

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