繁殖能力を失った閉経後の女性に残された子育てという役割

人間の女性は、ある年齢に達すると閉経して繁殖を行わなくなる。

新たな子孫を残すことができない彼女にできることは、子育てを助けることである。

彼女自身が新たな子どもを産むことができなくても、彼女の子どもの子どもである孫を危険から守り、繁殖できる大人にまで育てることができれば、将来的に、彼女の子孫は増える可能性が高まる。

もちろん、おばあちゃんがいなくても子育てはできるかもしれないが、何しろ人間の子育て期間はとても長く、教えるべきことが山のようにある。そのため、おばあちゃんが子育てに参加することは、とても効率的なのだ。

もちろん、動物も年を取って、おじいさんやおばあさんになることはできる。

しかし、年を取った個体に価値はない。子どもが学ぶことは限られているからである。

子どもを保護して、生き方を伝えるだけであれば、親だけで十分なのである。むしろ、体力が劣った年老いた個体は足手まといでしかない。獲物を捕ったり、天敵から逃げることを教えるのは、老体では無理なのだ。

年老いた個体は天寿を全うすることなく死ぬのが一般的

そして、年老いた個体は、天敵に襲われたり、病気にかかったり、厳しい自然界を生き抜くことができずに、天寿を全うすることなく死んでしまう。

ところが、人間は違う。何しろ人間が人間として生きていくためには、たくさんのことを教えなければならないし、覚えなければならない。

たとえば火起こしの道具だけが残されていても、それを使って火をつけるのはなかなか難しい。小さな火種を作ったら、火口ほくちに火をつけて息を吹きかけて火を大きくする。子どもは、複雑な火起こしの方法を学ばなければならないし、火口の材料や、火起こしの道具の作り方も学ばなければならない。

人間の子どもが覚えなければならないこと、人間の大人が教えなければならないことは、格段に多いのだ。

そこに、年寄りの出番がある。

もちろん、人間も年を取れば、体力が衰える。

肉食動物に襲われれば、逃げ遅れるのは年長者だろう。狩りをしたり、食べ物を集めてくるような能力は、若い人にはかなわないかもしれない。

しかし、若い人たちは、そんな体力的に弱い年長者を保護してきた。それは、年長者を保護することにメリットがあったからである。

年長者は、より多くの経験と知恵を蓄えている。か弱い人類が厳しい自然界を生き抜くためには、その経験と知恵が必要である。

人類が他の生物のように子どもを残してすぐに死んでしまったとしたら、火起こしの道具はあっても、子どもは火をつけることができないだろう。

あるいは他の哺乳類のように数年間、子育てをしてから子どもを独り立ちさせたらどうだろう。やはり、子どもが火をつけることは難しいかもしれない。

親子3代で家族を形成していれば、効率良く生きるために必要な知恵を親だけでなく、おばあちゃんも次の世代に伝えることができる。そのため、おばあちゃんを大切にする集団が有利となって生き残り、そして、おばあちゃんになることができる「長生き」という性質もまた発展を遂げていった。

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おばあちゃんの登場によって、人類は急速に発達し、文明や文化を発達させていったのではないか。これが「おばあちゃん仮説」と呼ばれるものである。

もちろん、役に立ったのは、おばあちゃんだけではなく、おじいちゃんも同じである。しかし、閉経をして生殖能力を失った後でさえも、価値があるというわかりやすい象徴として「おばあちゃん仮説」と呼ばれているのだ。