年長者を大切にする集団は長生きした
人類は弱い生き物である。
厳しい自然界の中にたった一人で放り出されれば、とても生きていくことはできない。
人類は群れを作り、村を作り、厳しい自然の中で生き残ってきた。そして、そこには、年寄りの「経験と知恵」が重要だったのである。
おそらく、おじいちゃんやおばあちゃんを大切にする集団は生き残り、おじいちゃんやおばあちゃんを活用しない集団は滅んでいった。
しかし、体力的に劣るおじいちゃんやおばあちゃんを集団の中に置いておくためには、その集団におじいちゃんやおばあちゃんを保護できるだけの力がなければならない。
おじいちゃんやおばあちゃんを大切にする集団は、経験や知恵で集団を発展させ、力をつけた。そして、その力で年寄りを保護したのである。
こうして、年寄りを活用する集団は、ますます力をつけていったことだろう。
そして人類の集団にとって、年を取っておじいちゃんやおばあちゃんになるということは、とても価値のあることとなった。その結果、人類は他の生物と比較して、とても長生きになったのだ。
生物は、生存に適した特徴が発達する。
年を取って長生きをするということは、人類にとって重要な進化だったのである。
「老人が一人死ぬのは一つの図書館がなくなるようなもの」
アフリカでは、「老人が一人死ぬということは、図書館が一つなくなるようなものだ」と言われている。
図書館ほどの知識はない、と謙遜される方もいるかもしれない。
しかし、そうではない。
私は、年寄りは、図書館一つ分以上の経験と知恵を持っていると思う。
経験とは、ビデオ映像に記録されるものではない。どんなに鮮明な映像がアーカイブされていたとしても、実際の経験にはかなわない。
知識とは、書物の中にだけあるわけではない。どんなに書物に記録されていても、実際に身につけた知恵にはかなわない。
その経験と知恵には、図書館もかなわない。「年寄り」とは、そういう存在なのだ。
そして、人類が知識によって栄えてきた種族なのだとすれば、年寄りの経験と知恵は、図書館一つ分以上の価値があるのだ。
そういえば、日本の昔話に「姥捨て山」というのがあった。
「老人は、役に立たないから、山に捨てるように」という決まりを破った息子。しかし、殿さまが隣国から無理難題を吹っ掛けられたとき、年老いた母親が知恵を授け、殿さまを助ける。やがて、こんな知恵者のいる国にはとても勝てないと隣国は侵攻をあきらめるのである。そして、この知恵の出所が、年老いた母親であったことを知った殿さまは、「年寄りはありがたいものだから、捨ててはならない」と新たなお触れを出すのである。この物語では、年寄りの知恵が、国を救ったのだ。