肉屋の店先に人肉がぶら下がっている

さて、ソ連の支配下に置かれたウクライナ東部が最大の悲劇に見舞われたのは、1930年代の初頭です。原因は、ソ連によって農業の集団化を強制されたことでした。

ロシアでは古くから農村が共同体で、土地の私有制がありませんでした。したがって、農業集団化が導入されても比較的スムーズに移行できました。ところがウクライナには土地の私有制があり、農民は自分の土地を耕して自活していました。そのため、ウクライナ農民はロシア農民に比べて個人主義的でした。

しかし社会主義体制のソ連では、個人が生産手段を所有することは許されません。土地は国有化され、農具や家畜を供出して国営農場または集団農場で働くことを強制されます。ウクライナでは激しい抵抗やサボタージュが起こり、例えば、集団農場入りが決まると自分の家畜を売ったり食べたりしました。その結果、この時期にウクライナは家畜の半分を失います。

時の最高権力者スターリンはこうした抵抗を、力で抑え込もうとしました。抵抗する者は逮捕してシベリア送りにします。特に、比較的裕福な農民は「農民の中のブルジョワジー」として、土地を取り上げ、収容所に送ったり、処刑したりしました。当然、労働意欲も生産量も低下します。

また、当時、ソ連は工業化を進めていました。都市部の労働者に食料を供給し、機械を輸入するための必要な外貨を稼ぐために、穀物を輸出していましたが、ウクライナが飢餓状態になっても、輸出のために小麦を徹底的に徴発しました。

飢えた人々の同情を誘う街角の死体(写真=Alexander Wienerberger、1935年出版『Muss Russland Hungern?』より/Street photography in Kharkiv/Wikimedia Commons

結果として、ウクライナはあれだけの穀倉地帯であるにもかかわらず、400万人ぐらいの餓死者が出ました。私はモスクワに駐在していた1980年代の終わりに、歴史を見直す『アガニョーク(ともしび)』という雑誌に載った、当時のウクライナの衝撃的な写真を見たことがあります。それは、肉屋の店先に人肉がぶら下がっている写真です。食べるものがなくなったので、飢え死にした人間の肉を、人間が買って食べていたのです。こういう思いをさせられたのは、旧ソ連の中でもウクライナだけです。

この人為的な大飢饉ききんは、飢えを意味する「ホロド」という言葉と、疫病を意味する「モール」を合わせて、「ホロドモール」と呼ばれています。現在ウクライナの首都キーウには、「ホロドモール犠牲者追悼国立博物館」が建てられています。

ウクライナ人がロシアの侵攻に対して徹底的な抗戦を続ける背景には、こうした歴史と記憶の蓄積があるのです。次回は、第2次世界大戦から後のウクライナが見舞われた悲劇を振り返ります。

(構成=石井謙一郎)
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