ロシアの軍事侵攻に徹底攻勢を続けるウクライナ。その背景には抑圧されてきた悲劇の歴史がある。言語、宗教、アイデンティティーが地域によってまるで異なるウクライナの複雑な歴史とロシアとの関わりについて、元外交官で作家の佐藤優さんが解説する──。(連載第11回)
アントニオ・グテーレス国連事務総長を迎えるヴォロディミル・セレンスキー大統領(=2022年4月28日、ウクライナ・キエフ)
写真=dpa/時事通信フォト
アントニオ・グテーレス国連事務総長を迎えるヴォロディミル・セレンスキー大統領(=2022年4月28日、ウクライナ・キエフ)

ウクライナは100の民族が住んでいる多民族国家

ロシアが一方的にウクライナに侵攻してから3カ月が過ぎました。なぜ停戦の合意ができないのか。その理由を知るために、ウクライナという国の複雑な歴史と、ロシアとの関わりをたどってみましょう。ここには地政学、言語、宗教、教育、経済などの要素が絡み合っているので、ほかの地域における紛争や民族対立を理解する手助けにもなります。

スラブ語で「クライ」とは「囲い」のことで、「ウ」は「傍」です。「ウクライナ」という言葉は、「国」あるいは、「地方」や「田舎」という意味なのです。この国は東部と西部で、成り立ちがまったく違います。言葉も宗教も住んでいる人たちのアイデンティティーも、まるで異なっているのです。

国土の半分は平野ですが、西へ行くほど山岳地帯です。ヨーロッパに近い西側ほど豊かなイメージがありますが、実際は逆なのです。ロシアが執拗しつように手に入れようとしたマリウポリを含むドネツク州など、東部が経済の中心です。

クリミアを除く人口は、4159万人(2021年:ウクライナ国家統計局)。民族の内訳は、ウクライナ人77.8%、ロシア人17.3%、ベラルーシ人0.6%。そのほかモルドバ人、クリミア・タタール人、ユダヤ人などとなっていて(2001年国勢調査)、だいたい100の民族が住んでいます。

同じ歴史でも、ウクライナとロシアでこうも解釈が違う

882年、現在のウクライナを中心に、キエフ・ルーシ(キエフ大公国)という大国が建てられました。ロシア、ウクライナ、ベラルーシの元になった国です。

広大な国でしたが、小さな公国に分裂して争うようになります。その一つに、モスクワ公国がありました。キエフ・ルーシはモンゴル・タタールに攻められ、1240年に首都のキーウが落城します。その後、モスクワ公国が発展してロシア帝国に至った。というのが、ロシア人にとってのロシア史です。その歴史観では、ウクライナの大部分の領域は一貫してロシアなのです。

キエフ・ルーシが滅亡した際、キーウの西に当たるガリツィア地方のリヴィウへ移って建てられたガリツィア公国こそ、キエフ・ルーシの正統を継いだ国である。こちらは、現在のウクライナ政権の歴史観です。

ガリツィア公国は14世紀に、西側のポーランド王国に編入されます。18世紀からオーストリア・ハンガリー帝国の領土となり、第1次大戦後はポーランド領に戻ります。第2次世界大戦が終わってソ連に組み込まれるまで、ロシアの支配を受けたことがない地域なのです。