禁酒法により密輸と密造が横行
禁酒法は店舗でのアルコールの販売は禁止しましたが、個人の「家飲み」はOKだったため、仮にワインに変わってしまった「ワイン・ブリック」を飲んだとしても消費者は法に触れず、販売者もぶどうジュースとして販売しているので違法ではありませんでした。
特にカリフォルニアワインを代表する「ベリンジャー・ヴィンヤード」は当時「ワイン・ブリック」の販売で大きな利益を得たワイナリーの一つです。
また法律が施行される前に高値でワインを売り捌き、莫大な利益を得たワイナリーもありました。
ニューヨーク市では「スピーク・イージー」と呼ばれる闇のバーが存在していました。今も当時の面影を残したまま隠れ家的バーとして人気を博していますが、禁酒法執行中の13年間に2万から10万軒もの「スピーク・イージー」が存在したと言われています。
禁酒法により密輸と密造が横行し、施行前よりアルコールの消費が増えたというのですから本末転倒です。
1933年、禁酒法は廃止されました。
大恐慌で国を苦しめていた財政にはアルコールからの税収が大いに役立ちましたが、禁酒法の反動から人々は大量にアルコールを消費し、アメリカは大衆向けの粗悪なワインが出回るようになってしまいました。
超エリートが生み出した「カルトワイン」が一世を風靡
このように、カリフォルニアでのワイン醸造が始まったのは、わずか150年前のことですが、現在、アメリカは世界第4位のワイン産地となり、カリフォルニア州では全米の81%が生産されています。
ワイン消費は世界トップであり、世界的にワインの消費量が減少するなか、アメリカでは消費量は毎年毎年上昇しています。
ワイン歴の浅いアメリカですが、紀元前からの歴史を持つワインの伝統国フランスやイタリアとともに肩を並べ、最も重要なワイン大国の一つとなりました。
オールドワールドの諸国には大きく遅れをとったものの、第二次世界大戦で大勝利をおさめたアメリカは、やがて経済大国、ワイン大国へと歩み出しました。
1960年代、フロンティア精神にあふれるロバート・モンダヴィ氏の出現により、カリフォルニアではオールドワールドに匹敵する質の高いワイン醸造が開始しました。
「ワインの父」と呼ばれるモンダヴィ氏はカリフォルニアワインの第一の波、ファーストウェーブを巻き起こしました。
そして80年代後半から90年代、セカンドウェーブである「カルトワイン」が誕生し、一世を風靡します。
カルトワインとは、まさに「ワインのカルト的な存在」で信者(ワイン好き)は魂を操られるようにワインの魅力にとりつかれ、高額を投じてカルトワインの入手に奔走します。
カルトワインの設立者は、元弁護士や元金融マンなどワインビジネスと畑違いの分野で活躍してきた超エリートたちです。
彼らはワインビジネスへ転職し、ワイナリーのオーナーとして第2のキャリアパスを歩み出しました。頭脳集団である彼らは、誕生したばかりのワインを巧みな戦略で超一流ワインへと押し上げました。
フランスの歴史ある銘醸シャトーを横目に高額な価格を提示しますが、カルトワインは即完売となり常に品薄状態が続きました。このカルトワインの成功の後に続けとばかりに、今も次世代カルトワインが次々に誕生しています。