西海岸ではゴールドラッシュがワイン造りを発展させた
一方、西海岸では16世紀、スペイン人のエルナン・コルテスがヨーロッパ産ぶどうを持ち込みワイン造りが開始しました。
その後はキリスト教宣教師たちによりワイン造りが継承されましたが、あくまでもミサ用ワインとして造られたワインで決して美味しいものではありません。
その影響から西海岸での商業用ワインの発展は遅れてしまいました。ところが1848年、カリフォルニアに大きな転機が訪れます。
この年、サンフランシスコ界隈で大量の金が発見されたのです。そのニュースは世界中に広がり南米、ヨーロッパ、オーストラリアなどから、約30万もの人々が金を求めて集まりました。
一攫千金を狙い世界中から集まった採掘者たちの中には、現在の価格で何百億もの金を発見し、莫大な富を得た者もいました。しかし、実際に多くのケースでは過酷な労働のわりに金は思ったほど採掘できなかったのです。
夢を諦め自国へ戻る人や日雇いで生計を立てる人々がいる中で、ワイン造りの知識を持ち合わせていた人たちはぶどう栽培者やワイン醸造者へと職を変更しました。
カリフォルニアの気候はヨーロッパと違い、燦々と降り注ぐ大量の日射、朝晩の寒暖差、そして広大な土地を持ち合わせ、ワイン造りには最適な条件を兼ね備えていたのです。
1846年に人口わずか200人だったサンフランシスコは1852年には約3万6000人もの都市に成長し、様々なビジネスが発展しました。
特にワインは金発掘の労働の疲れを癒し、世界中から集まった強者たちに好まれました。大酒飲みの彼らのおかげでワイン消費はどんどん上昇し、ワインビジネスは大きく発展しました。
禁酒法の抜け穴をくぐった“濃縮ぶどうジュース”の智恵
ゴールドラッシュの恩恵を受けたワイン産業ですが、20世紀に入りヨーロッパで第一次世界大戦が勃発。1921年にはアメリカで禁酒法が、そして29年には世界経済を揺るがせた大恐慌が起こり、度重なる惨事でワイン産業は大きな打撃を受けてしまいました。
特にワイン業界に影響を及ぼした「禁酒法」は、多くのワイナリーを廃業に追い込み、法律的に醸造が許可されたのは、唯一、教会のミサで使用するワインだけでした。
ただし天下の悪法と呼ばれた禁酒法には、実は多くの抜け穴があったのです。法の不備を利用して「ワイン・ブリック」なる「ぶどうジュース」が販売されました。ワイン・ブリックとは濃縮されたぶどうジュースに水を入れて薄めて飲む飲み物です。
説明書には1ガロンの水を加え濃縮物を溶解する方法が書かれていますが、その後に但し書きで「涼しい場所に21日間放置するとワインに変わってしまうので気をつけてください」と書かれていました。
これは実のところ、ワインの造り方を説明しており、消費者は説明書どおり21日間放置し、アルコールの発酵を促してワインを醸造しました。