日本サッカー協会が伝えた2代目経営者の訃報

2月下旬、日本サッカー協会(JFA)からメディア関係者向けに、こんなニュースリリースメールが送信された。

「東京都サッカー協会顧問(元会長)で、元JFA評議員、元国際審判員(1961年~1988年)の安田一男氏(享年89歳)が2月17日にご逝去されました。ここに謹んで哀悼の意を表し、お知らせいたします。」

一見、ほとんど名前も知られていない往年のJFA関係者の訃報のように思える。しかしこの安田氏には、もうひとつの顔があった。

彼は国産サッカーシューズメーカー、「株式会社安田」の2代目経営者でもあったのだ。現在40歳あたりから上の元サッカー少年であれば、ヤスダと聞けば「ああ」と懐かしく思い出す方も多いだろう。

かれこれ20年ほど前、私は安田の歴史を取材したことがある。当時東京都サッカー協会会長だった一男氏御本人、かつての安田社員、同社製品を扱っていた全国の小売店、同社のシューズを愛用していた選手らをインタビューして回り、同社編纂の社史や歴代のカタログ、過去のサッカー専門誌に掲載された安田の製品広告にも当たったものだ。

今年2022年はくしくも、安田の前身である安田靴店の創業から数えてちょうど90周年となる。亡くなった一男氏への手向けの意味も込め、戦前から平成までの長きに渡って日本のサッカー選手の足元を支え続けてきた安田の歴史を振り返ってみたい。

ヤスダのスパイク
資料提供=YASUDA
安田のかつての製品カタログ。

「町の靴店」が作った国産スパイク

一男氏の父、安田重春は1932(昭和7)年、21歳で東京・小石川竹早町、現在の文京区小石川4丁目に「安田靴店」を開業した。どこにでもありそうな、町の靴屋だった。だがこの店は、よそにはない特徴を持っていた。上質なサッカーシューズを作ることができたのである。