だがどの方策もオリジナリティーに乏しいか、さもなくば短期的で継続性がなかった。したがって、失ったシェアを回復できるほどの効力を持ちえなかった。

戦略性――クリックスに決定的に欠けていたものが、これである。

はじめにブランドイメージの構築ありき。クールな広告、多数の世界トップ選手との契約、デザイン先行のプロダクト……80年代後半からはっきりと、ナイキが始祖となったプロモーション方法を採用できるかどうかが、スポーツ用品メーカー生き残りの分水嶺となっていた。

ナイキに負けじとアディダスが同じ手法で大反撃を図り、規模は小さいながらプーマなどもそれに続いた。もちろんこのようなことができるのは、資本力のある国際的メーカーに限られた。質の高いものを良心的な価格で提供するだけのドメスティックブランドは、そのあおりを受けて世界中で駆逐されていった。

そして皮肉にも日韓W杯が開催された2002(平成14)年、クリックスは東京地裁から破産宣告を受けたのだった……。

市立船橋のMF小川佳純(左)ら市立船橋イレブン(2003年1月13日、東京・国立競技場)
写真=時事通信フォト
全国高校サッカー選手権決勝・市立船橋(千葉)-国見(長崎)の後半20分、決勝点を挙げガッツポーズをして喜ぶMF小川佳純(左)ら市立船橋イレブン(2003年1月13日、東京・国立競技場)。小川選手の足元に注目。クリックス着用選手が大きな注目を集めた最後の光景である。
ヤスダの2002年版カタログ
資料提供=YASUDA(2002年版カタログより)
小川選手(後に明大-名古屋-鳥栖-新潟。現在、JFLティアモ枚方監督)が履いていたのは、「ブラジリアン・スーパー」の市船カラー(青×白)モデル。彼は足幅が広く土踏まずが低めであるため、自分の足型に最も合うクリックスのシューズを中学時代から愛用していた。

誕生から90年、安田のスパイクの今

クリックスの倒産から20年が経つ。だが、安田の系譜が完全に途絶えてしまったわけではない。

学生時代に安田のスパイクを愛用していた人物がその消滅を惜しみ、クラウドファンディングで資金を募って2018(平成30)年、アルファベットの「YASUDA」の社名、ブランド名でサッカーシューズの製造販売を復活させているのだ。

人工皮革製やテキスタイル製が多数派となった時流に背を向け、カンガルー革を使用したアッパーにこだわるなど、往年の安田の特徴を踏襲。もちろん商標権やエクセルライン等の意匠権も、正式に譲り受けている。

親子2代に渡って作り続け、長く日本サッカーを足元から支えてきた「ヤスダのシューズ」が、自らの存命中に再興を果たした。

安田一男氏はそれを幸せな出来事と記憶して、天に旅立ったのだと信じたい。

御冥福を、お祈りいたします。

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