「上昇は一時的」という誤った見方が対応を遅らせた
景気が過熱し物価上昇が続く展開を落ち着かせるため、FRBは金融政策を引き締めに転換せざるを得なくなっている。5月のFOMC後、0.75ポイントの追加利上げを示唆する地区連銀総裁は増えている。特に、昨年11月末までFRBが物価の上昇は一時的という誤った見方を続けたことは大きい。その分、金融政策の正常化は遅れた。急ピッチかつより大きな引き上げ幅での追加利上げと、バランスシートの縮小ペースの加速を警戒する主要投資家は増えている。
FOMC後に米国の長期金利は3.20%にまで上昇した。4月末から5月10日までの間、ナスダック総合指数は4.8%下落した。下落率は、在来分野の企業が多いニューヨークダウ工業株30種平均株価インデックスやS&P500インデックスよりも大きい。リーマンショック後の米国経済の成長を支えてきたGAFAなど多くのIT先端企業の株価も下落した。
思い出されるのは22年前の「インテルショック」
インフレ退治に必死になるFRBに重なるのは22年前だ。1999年6月以降、FRBは0.25ポイントずつ段階的に利上げを進めた。利上げ開始時点での物価上昇率は2%を下回っていた。そのうえで、利上げの最終局面である2000年5月に0.50ポイントの大幅な追加利上げが実施され、政策金利は6.50%に達した。
利上げが開始された時点で、米国経済ではITバブルが膨張し、経済の先行きに関する強気な心理が急速に増えていた。特に、当時の花形企業だったヤフーなどIT先端企業が多く組み入れられたナスダック総合指数の上昇は鮮明化した。IT分野を中心に労働市場の改善も急速に進み、米国の物価は緩やかに上昇した。FRBは景気が加熱し資産価格が持続不可能なまでに高騰する展開を防ぐために早い段階から利上げを進め、景気のソフトランディングを目指した。
ただし、需要が旺盛な米国において物価の上昇圧力を弱めることは容易ではない。それに加えて当時の米国ではIT革命によって生産性が高まるとの見方も強かった。連続的な利上げにもかかわらず、先行きへの強気な心理が個人の消費増加を支え、それがモノやサービスなどの価格を押し上げた。1999年12月にPCE価格指数の上昇率は前年比で2%を超え、その後も2%を上回る状況が続いた。2000年3月までナスダック総合指数は上昇基調で推移した。