有休はおろか公休すら消化できない勤務実態

労基署が事細かに調査してくるようになった。慌てたのは会社の幹部だ。公休日さえ満足に取れていない実態をまともに取り上げられたらとんでもないことになる。

現場では勤務帳簿が二つも三つもつくられることになった。「実際の勤務を記録した帳簿」「給与の支払いのためにつくった帳簿」「外部に示すときに使う帳簿」と、二重帳簿に三重帳簿まで現れた。

とにかくごまかすのに必死だった。

年次有給休暇は毎年最低でも5日間は取得させるようにという指示が労基署から届いた。抜き打ちで調査に入られる可能性があるなどと伝わってくると大騒ぎになった。

「公休も消化できていないのに有休なんて取れるはずがない」という声があちらこちらから上がった。

すると「公休は仕方ない。とりあえず年休から先に消化するように」というブラックジョークのような指示まで出た。悲劇を過ぎると喜劇になるという典型のような話だ。

こんな状況のなかで出てきたのが「抜かれても、落としてもいいから記者を休ませろ」という指示だった。

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「抜かれてもいい」は新聞社が口にしてはいけない禁句

記者の数は無計画と言いたくなるような勢いでどんどん削減されていた。デジタル化が進んだので要員は整理できるという理屈だが、現場の実情からまったく乖離かいりしたものであった。

一人当たりの仕事の負担はどんどん増えているのに、休日を増やせるわけがない。「どんなことをしても休日をとれ」という指示が「抜かれても、落としてもいいから記者を休ませろ」という“具体的でわかりやすい”指示になったわけだ。

「抜かれても、落としてもいい」などと口にしなければならない幹部には大いに同情する。しかし、新聞記者が絶対口にしてはいけない言葉だ。禁句を口にして指示した罪はとても重い。

新聞記者に対して「君はもう記者でなくてもいいよ」と死刑宣告したようなものだ。

誤解のないようにしてもらいたい。100~200時間の基準外勤務をしなければ、新聞記者とは言えないなどという気はまったくない。

海外には1日8時間勤務でしっかりと取材して良質の報道をしているジャーナリストがたくさんいる。長時間労働は当たり前と考えている新聞記者は、社会の感覚からズレており、よい取材はできないし、よい原稿が書けるわけがない。

しかし、「抜かれる」ことと「落とす」ことを容認してはいけない。

ましてや休みを取るための代償として「特ダネはいらないし、特落ち(他社が扱ったニュースを自社だけ落とすこと)もOK」などと公言するのは言語道断だ。

要員が足りなければ補充すればいい。せめて公休ぐらいはまともに取得できるように持ち場の配置を工夫すればいい。長時間労働をしなくてもいい職場環境を整えるのが幹部の仕事だ。

こんな基本的なことをはき違えている新聞社で働く記者は本当に可哀そうだ。