新聞記者を目指す学生に「やめたほうがいい」と忠告

ある私立大学で約10年間にわたり、非常勤講師を務めたことがあった。

講義科目はメディア論。ありがたいことに「理屈っぽい話ではなく、現場の率直な声や考え方を学生に伝えてほしい」という条件だけだった。カリキュラムも講義内容も自由につくらせてもらえた。

私が「大した話ではない」と思っていても、受講生から「信じられない」という反応が多くて少し驚いたことがあった。会社の幹部から猛烈なお叱りを受けそうなメディア批判も平気でベラベラしゃべっていた。

毎年、2~3人の受講生が「マスコミを受けたいので話を聞かせてほしい」と相談にやってきた。志望先は、新聞社、テレビ局、出版社、アニメーション制作会社とさまざまだった(私も驚いたのだが、アニメ制作は「メディア」に含まれている。大学のメディア関連の学部の一番人気はアニメ学科と聞いてもっと驚いたことがあった)。

相談にくる学生の半数が新聞記者を目指していた。

当時はすでに「新聞は斜陽産業」などと言われていて、志望者は減少傾向だった。私自身も新聞の将来には明るいものを感じていなかったので「まだまだ新聞記者も捨てたもんじゃないのかな」と励まされる気分だった。

相談を受けたら、回答は二つのどちらかだった。

「新聞記者はいいよ。応援するから頑張ってね。作文書いたら見てあげるから、いつでも持っておいで」
「新聞記者はやめた方がいい。どうしてもなりたいなら、いったん一般企業に就職して、“それでもなりたい”と思うようなら、もう一度相談においで」

なんとなく“いいな”と思って新聞社を受けたいと思っているのか、ジャーナリストとして仕事をしたくて新聞記者を目指しているのか、5分も話をすればわかった。

ジャーナリストになりたいと熱っぽく語り、新聞記者として仕事したいと話す学生には、例外なく「やめた方がいい」とアドバイスした。

言われた学生はとたんに怪訝な表情になった。

「どうしてダメなんですか」と聞いてきたが、「とりあえず一般企業に就職して、それから考えても遅くない」と答えるにとどめた。

「日本の新聞社からジャーナリストを育てる力が失われつつある」

講師を引き受ける際にお世話になり、その後も何かとアドバイスしてもらっていた大学教授からは「どうしてそんな夢を潰すような話を学生にするのか」と、何度もお叱りを受けた。

「日本の新聞社から、一からジャーナリストを育てる力が失われつつある」と説明したうえで、「安物の新聞記者で一生を終わっていいのなら応援します。でも、真剣にジャーナリズムの世界を目指している学生には、とても勧めることはできません」と曲げなかった。

「新聞社に勤めてから夢を潰される方が学生にとっては悲劇です」と繰り返しても、その教授はなかなか納得してくれなかった。すでに機能不全に陥りかけている新聞社の内情をどれだけ説明しても、教授には信じ難かったのだろう。

非常勤講師を辞めてから何年も経つが、新聞社の現状は坂道を転げ落ちるように悪化の一途をたどっている。

ジャーナリストを一から育てるどころか、育ちかけているジャーナリストを潰してしまう事態も起きていた。

目を輝かせながら「新聞社で仕事がしたい」と話す大学生の姿が目に浮かぶ。そして「あのときのアドバイスは間違っていなかった」と胸をなでおろしている。

「一般企業に就職したけれど、それでも新聞記者になりたい」と、私のところに再度相談にきた学生は一人もいなかった。