※本稿は、坂夏樹『危機の新聞 瀬戸際の記者』(さくら舎)の一部を再編集したものです。
デジタル化が日本の新聞社に与えた影響
現在の大学生には信じてもらえないかもしれないが、かつて大学生の人気企業ランキング50位では、朝日新聞社、毎日新聞社、読売新聞社といった全国紙の新聞社が必ず上位にランクインしていた。就職するのは「宝くじを当てるよりも難しい」などという時代があった。
いまは見る影もない。
デジタル化の進展は、歪んだ効率化と合理化を生み出し、会話のない職場をつくり出して、新聞記者をとことんまで疲弊させた。
そして、希望に胸をときめかせてジャーナリズムの世界に飛び込んできた記者の芽を、次々と潰している。
「他社に特ダネを打たれてもいいから休め」
最初は信じられなかった。
ある会議で編集幹部が「抜かれても、落としてもいいから記者を休ませろ」と発言し、現場のデスクに指示したというのだ。
「嘘だろう。悪い冗談だろう」と思っていたが、本当だった。
「この会社も新聞記者も終わったな」と思った。少し寂しかった。
この発言には伏線があった。
過労死や過労自殺が社会問題になり、働き方改革が叫ばれていた。過労死や過労自殺を撲滅しようと報道している新聞社自体が、常識はずれの働き方をさせている典型的な企業だった。
現場の記者だった当時、基準外の労働時間が月に100時間を切ることはなかったし、1年に2~3カ月は200時間を超えていた。公休日を完全に消化することは退職するまでなかったし、有給休暇なんて取得の仕方も知らなかった。
こんなめちゃめちゃな状態だったが、実は仕事しているのか雑談しているのかよくわからない時間や待機時間が結構あった。要するに“拘束時間が長い”ということだったのだが、拘束時間も労働時間だから、超過重労働態勢だったことに違いはない。
労働基準監督署(労基署)はよく黙認していたと思うが、政府が働き方改革を掲げ、締めつけが厳しくなってくると、新聞社だけ例外というわけにはいかなくなった。むしろ新聞社のような言論機関は“模範”でなければならない。