給与はピンハネ、食事はおしんことお茶漬けだけ

〔母の死に目にもあえず〕

父を栄養失調で亡くし、母が結核で療養し弟を含め一家を支えねばならなくなった女性。大阪から一九四六年の春に弟と上京し、父の知人を頼りに立川に来たものの知人の居場所がわからない。

駅の近くでうろうろしていると見知らぬ男に仕事を探しているのかと声を掛けられ、すぐにも働き始めたかった女性は、男の誘いに乗り、連れていかれたのが、国がやっているという慰安所だった。

「国がやっているというふれこみでも、業者が雇ったヤクザが監視していては逃げ出すこともできない。観念した私は、その夜から外人相手専門の慰安婦になってしまいました。母に命を少しでも長らえてもらうために、どうしてもお金が欲しかったことも、あきらめた原因の一つでした。

弟もやはり、私を慰安所に連れてきた男に、どこかに売りとばされたようでした。一日に二〇人から三〇人の兵隊の相手をしたために、微熱と痛さが出る。それに食事ものどを通らず夜も眠れない毎日でした。食事といってもおしんことお茶漬けだけ」

女性は、あがりの半分はくれるという約束をよそに、三分の二はピンハネされたが、それでも手に入る金はすべて大阪の母に送金していた。「立川時代の一年は、まるで地獄でした。『ハハシス』の電報を受け取った夜も、泣いて頼んでも帰してもらえない。枕をぐっしょり涙でぬらしつつ、一晩中、客の相手をしていた私です」

「一般女子を守るための防波堤になってくれ」

〔地に落ちた大和撫子〕

広島県警から「遊女は一般女子を守るための防波堤になってくれ」と依頼してきたほどで、警察官がよくまあ「ねえさんや、女のコを数人貸してくれんかね」「白人さんを、よろしくお願いします」なんていうてアタマさげてきよりました。

ウチらの女性は、九州や四国の半農半漁の貧しい家の娘が売られてきましたが、言うことをよく聞くけん、むごい仕打ちにあったものは一人もおらず、みんなチョコレートやビスケットなどをもらって喜んでいました。一般家庭の婦女子を守るために、女郎は貢献したもんですよ。

「外人の男の腕に抱かれてこの世を去りたい……」

〔家の前にジープが四〇台〕

ある女性が知人に紹介されたダンスホールは、豪華な三階建てのホテルにあった。彼女は外国人とのふれあいの多い環境に育ったので、多少の英語を話すことができた。この店でダンサーとして一生懸命やろうと覚悟を新たにしながら店に勤め始めた。

個室が与えられ、広い部屋にはダブルベッドやテーブルがおかれ、彼女はすっかり豪華さに酔っていた。

村上勝彦『進駐軍向け特殊慰安所RAA』(ちくま新書)

「ある夜のこと、寝ていて胸のあたりがへんに息苦しいので目を覚ますと、眼をギラギラさせて迫ってくる顔があった。逃げようとしたがシーツに足を取られ転倒してしまった。観念して眼を閉じた私の耳元で、外人が「ワタシ、カネヲハラッタネ。アナタ、ワタシトネル」とささやくのだ。そのひとことで、私は外人専門の淫売ホテルの女にさせられていたことを知ったのだ」。彼女はこう話している。

彼女は色々な淫売ホテルを転々とし、「惚れた男と結婚しよう」と一度はゆめみたが、結局「外人相手の商売のアジがしみついた私のからだでは、元のさやに戻るしかなかった」

そして一晩一〇人もの「まわし」をとる日が続く。彼女の借りた家の前にはジープが四〇台並んだこともあったという。また仙台の米軍の倉庫で数十人を迎えたこともあった。

「いずれにしても私のからだは外国の男たちによって女にされたのだ。外人の男の腕に抱かれてこの世を去りたい……」

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