終戦からわずか3日後の1945年8月18日、政府は米兵向けに女性をあてがう施設を作ることを全国の知事に命じた。そこで働いた女性たちはどう集められたのか。元NHK記者の村上勝彦さんの著書『進駐軍向け特殊慰安所RAA』(ちくま新書)より、女性たちの証言を紹介する――。(第2回)
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慰安婦になった19歳女性は電車に飛び込み自殺した

いくつかの本や雑誌記事に出てくる女性の話がある。

丸の内で働いていた19歳の元タイピストである。女性はRAA(特殊慰安施設協会)に事務員として応募してきたが、説得されて慰安婦になることを承諾した。「悟空林」に配属され、具体的な話を聞いている間じっと体をこわばらせ顔を伏せていたという。世話したおばさんは「処女なら無理もない。すぐ慣れるだろう」と思ったという。

開店初日の8月30日、朝から米兵が歓声を上げて店に押し寄せてきた。一人の兵隊が「ナンバーセブン、ノーガール」とどなっていた。手分けして探すと布団部屋の隅で彼女がなきじゃくっていた。「おばさん堪忍して、怖くて恐ろしくて」と泣いて話すので、夕方まで休ませることにした。

しかしその日も終わりというとき、兵士たちでごったがえす廊下で大きな黒人兵が「ナンバーセブン、グッド」と笑顔で叫びながら出て行った。

彼女の割部屋の布をめくると、乱れたシーツと血が見えるだけで彼女の姿はなかった。店中大騒ぎで探したものの彼女はみつからなかった。

翌日大森警察署に問い合わせると、京浜電車に飛び込み自殺した娘がいるという。現場に駆け付けると、こもをかぶせられたそのナンバーセブンの女性が横たわっていた。

京浜急行大森海岸駅付近にあった慰安所

この女性だけではない。慰安所の仕事のあまりの凄さに逃げ出す女性や、精神に異常をきたす女性もいた。

この女性の話は『りべらる』の糸井やRAAの鏑木清一の文章、1978年発行の『東京闇市興亡史』(猪野健治編)など、当時のことを描いた本には悲劇の例として必ずと言っていいほど出てくる。

この自殺した元タイピストの女性の勤務先は「悟空林」とも「小町園」とも言われているが、開業日からみて「悟空林」ではないかとおもわれる。

小町園や悟空林、楽々、見晴などの慰安所があった京浜急行大森海岸駅のあたりは、今はビルやマンションが立ち並び、当時を思い浮かべられるものも、気配も残っていない。