夫との別れ

2015年4月。夫は精神科に入院。同時に、高速で約2時間かけて通院していた抗がん剤治療は、リハビリ通院していた脳外科で引き継ぐことに。やがて夫は、立つことはできても歩くことが難しくなり、ほとんど車いす生活になった。だが、幸い再発の兆候はない。

夫は毎週末自宅での外泊が許されていたが、あんなに入院に反対していた義母は、今度は「もうあまり動かさないほうがいい。外出や外泊はやめなさい。息子に何かあったらどうするの?」と言い始める。

すると、たまたま義姉と一緒に来ていた義兄が、「でもこの前、和美さんが家で足浴マッサージをしてあげたら、すごく気持ち良さそうに、幸せな顔してたよ。だから絶対、本人は外泊したいと思ってると思うなあ」とフォロー。義母は口をつぐんだ。

そして7月。娘たちと夏祭りに出かけていると、夫が入院している病院から連絡が入る。

「旦那さんが痙攣を起こしたため、通院されている脳外科に救急搬送されました!」

病院へ着くと、脳外科医が言った。「再発ですね……」

夫は脳外科に転院。病院には毎日のように、白井さんの両親、夫の高校時代の友人、サーフィン仲間、白井さんの友人など、さまざまな人が面会に来てくれた。

10月6日朝、白井さんは目覚めたが、時間に余裕があったので再び目をつむる。すると、夫が現れた。夫は必死に「もうダメだ!」「ダメなんだ!」と叫んでいる。白井さんが「何が?」と訊ねると、夫は姿を消してしまった。

白井さんは起き、夫の病院に行く支度をしていると、突然電話が鳴った。脳外科医からだった。

「朝、MRIを撮るときに脳幹が圧迫されたようで、(意識が)戻ってこないんです。すぐにこちらに来れますか?」

白井さんは急いで病院に向かった。車の運転中も、「絶対死なないでよ! まだ死なないでよ! 絶対ダメだよ!」と半ば叫んでいた。夫の病室に到着すると、モニターの音が耳に入って来た。白井さんは看護師だったから分かった。夫は、心臓が止まっていた。

発症から17カ月目。35歳になっていた。

白井さんは、「何で突然? 毎日たくさんの人が面会に来てくれている中、誰もいない時間に一人で勝手に。もうちょっと待っててよ! ずっと一緒に頑張ってきたのに! 私のいないときに逝くなんて……!」と思い、立ち尽くした。だがすぐに、「最後ぐらい格好つけさせてよ……ってことなのかな?」と思い直し、夫を抱きしめ、こう耳元でささやいた。

「よく頑張ったよ。十分すぎるほど頑張った。やっと楽になれたね。ゆっくり休んでね」

しばらくして白井さんは、両親や義母、友人たちに連絡を入れた。するとお世話になった看護師や理学療法士たちが、涙を流しながらお別れを言いに来てくれた。

「奥さんが好きな色だから……と言ってピンクに塗っていましたよ」と言って理学療法士に渡された箱の中には、粘土で作ったピンク色でハート型の小物入れがあった。白井さんが蓋を開けると、そこには夫直筆の手紙があった。

写真=iStock.com/masterzphotois
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「サンキュー! ママ。ありがとうな。あいしてるぜ」