在宅介護へ

2014年9月。人工頭蓋骨を入れる手術を受けた。夫は、5月の開頭手術後に脳がむくんで脳幹が圧迫されたために、緊急で「開頭外滅圧術」を行い、いったん頭蓋骨を外したままの状態にしていた。

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そろそろ人工頭蓋骨に、ということになったのだが、1カ月たっても傷口がうまくつかず、感染を起こしてしまったため、やむなく人工頭蓋骨を外す手術を行った。

主治医から「もう頭蓋骨を入れるのは無理です」と言われ、白井さんは、「夫に残された少ない時間を、自宅で過ごして娘たちとの思い出を作りたい」と相談。主治医は、「普通の人が家で看れるような状態ではありません。小さな子どもがいたらさらに難しい」と反対したが、「私は看護師で、脳神経外科の患者さんを看てきた経験があるので大丈夫です」と言い、在宅介護に踏み切った。

約5カ月ぶりに帰宅し、いつものソファーに座ると、夫は穏やかな顔に。白井さんが「どう? 自宅は?」と声をかけると、「いいね~」と返事をした。

「私は、娘たちの記憶にパパの姿を残したかった。あと数カ月しか生きられないパパと家で過ごさせてあげたかった。そして夫には、残された時間を、できる限り大好きな娘たちと、自分が建てた家で過ごしてもらいたかったのです」

その夜から、2歳と5歳の育児と、ほとんど重度の認知症状態で怒りを抑制できない33歳夫の在宅介護が始まった。

発症前までは家事や育児をしてくれていた夫は、絶対安静は基本だが、突然家事や育児のスイッチが入り、やってくれることがあった。「娘の歯磨きをするスイッチ」や「ネギを小口切りにするスイッチ」「洗濯物を干すスイッチ」などだ。習慣的に身についていることは、手術で前頭葉の一部を失っても、身体が覚えているのかもしれない。

一方で、夫は「朝が来たら起きる」という習慣がなくなり、誰かに身体を起こされるまでひたすら眠り続ける。180センチ近い夫を白井さん一人で起こすことは不可能なため、毎朝、車で15分ほどのところに住む義姉が来て、一緒に起こしてもらう。2人で両脇を抱え、夫を立ち上がらせると、ようやく夫は目を開いた。

またあるとき、夫は「2階に上がるスイッチ」が入った。以前は2階に寝室があったからだ。そこで白井さんは、娘たちが小さい頃使っていたバリケードを階段の前に設置。夫は頭蓋骨がないため、頭をぶつけたりしたら即死だ。白井さんはヘルメット兼サポーターのような保護帽子をオーダー。夫に被らせ、薄い膜だけで脳が半ばむき出しのような状態になっていた部分を覆った。

夫は、「トイレに行くスイッチ」が入ればトイレに行くが、基本はオムツ。入浴は、入れるまでが大変だが、一旦入ると気持ちが良いため動かなくなってしまい、出すのが大変だった。食事は「食べるスイッチ」が入れば自分で食べられた。

「介護保険は、まだ33歳の夫には使えません。夫はだんだんと攻撃性が増し、私と2人きりだと私に暴力を振るうようになっていきました。なので、たまたま夫の友人がやっていたデイサービスに通わせてもらうことにしました」

同年11月頃。白井さんは、ふとトイレに入って一人になると、突然津波のように不安が押し寄せてきて、大量の涙が溢れてくるようになった。

「今思うと、トイレの中くらいしか一人になる時間がなく、悲しみや不安を感じられなかったんです。それ以外は、母であり、妻であり、嫁でしたから……」