シリコンバレーで体感した「失敗を許される土壌」

藤井が最も印象に残っているのは、三年目のアメリカ西海岸研修である。半導体関連企業が多数立地しているシリコンバレーで一週間のカリキュラムが組まれていた。

「そのときぼくは(医師として)ペーペーです。一週間休みを取るなんて無理。でもぼくはどうしても行きたかった。土日すべて勤務するので行かせてくださいって頼んだんです。幸い上司が理解のある方で認めてもらえました。

シリコンバレーでは一週間、スケジュールがびっちり。昼飯も夜飯も何らかのミーティングをしながら食べる。観光は一切なし。アップル、グーグル、インテルの本社に行ったり、いろんな有名な企業の方が来て話をしてくださった」

アメリカの起業家を支援する土壌が羨ましかった。

「日本で起業して失敗したら、自己破産、バツがついて終わり。でもアメリカは投資家がいて、起業家の考えに共感すれば、リスクマネーを投じてくれる。きちんと頑張れば、失敗は許される」

リスクマネーとは、ベンチャービジネスなどを対象にリスクを伴う投資資金を意味する。

2019年3月、藤井は博士課程を卒業、12月に植木の所属する新規医療研究推進センター助教となった。

奇しくも新型コロナウイルスが頭をもたげた時期である。

「もう勘弁してくれ、帰ってくれって言われるまでいました」

話を冒頭の2020年4月10日夜に戻す。

藤井は二人の男に電話を入れた。一人目はサンパックの会長、森和美である。サンパックは倉吉市に本拠地を置く、紙製品の加工を得意とする企業だ。

森はとりだい病院見学に参加、月一回の『看護部ものづくり会議』に参加していた。これは看護の現場に即した商品開発を目的とした会合である。

「我々“紙屋”の立場から言わせてもらうと、病院内では殺菌、洗浄して使い回している製品が多いのが驚きでした。特に感染症対策ではもっと紙の使い捨てにすべきだと考えました」

もう一人はメディビートの代表取締役山岸大輔である。メディビートは前年2019年4月に設立された、主にとりだい病院内の研究成果の製品化をサポートする。

「森会長にはセロファンでも何でもいいので紙にフィルムを貼ったものはできませんかと試作をお願いしました。そのすぐ後に山岸社長に電話しました。いろんな病院になるべく早く届けるルートに乗せてほしいと。

この二人の了解をもらって動き出しました。翌日、森会長が試作品を持ってきてくれた。でもそれはぼくが思い描いていたものとは少し違った」

潜水用のヘルメットのように上からかぶせる形状で、顔の動きに追従しなかった。そのため首を振ると視野が遮られた。救命救急センターで医師として勤務経験がある藤井は寺岡の言葉で現場で何が必要なのかをすぐに理解した。

しかし、森たちは違う。まずはチーム全体で意思統一、優先順位を共有する必要があった。

「直接、寺岡さんから話を聞くのが早い。それですぐに翌日の夜にZoomで繋ぐことにしたんです」

その夜、藤井たちはサンパックの工場内にある会長室に集まった。

撮影=中村 治
サンパックの工場。

倉吉市の中心地には江戸時代、明治時代からの建造物が残っており、白壁土蔵群は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。サンパックはその白壁土蔵群から北へ約3.8キロ走った国道38号線沿いにある。

森は寺岡の鬼気迫る表情に感銘を受けたと言う。

「可愛いげな寺岡先生が必死で訴えている。これはなんとかせないかんと、みんなが思ったんじゃないですか」

会長室の端には、緑色のカッターマットが敷いてある木製の作業台が据えられており、接着剤や定規、メジャー、ハサミ、カッターナイフが並べられている。

森はボール紙をカッターナイフで切り、切り込みを器用に組み合わせて、試作品を作った。藤井たちがそれをかぶり、改善点を見つける。この日は日付が変わるまで試行錯誤が続いた。

翌日、藤井は倉吉市の自宅から米子市のとりだい病院に出勤、いつものように消化器内科医として働いた後、サンパックに向かった。サンパックの会長室の真ん中にあるテーブルには、菓子類が置いてあった。

それをつまみながら、森の手から生まれた試作品を、実際に試し続けた。会長室には紙の切れ端、試作品がどんどん積み上がっていった。

「森会長がもう勘弁してくれ、帰ってくれって言われるまでいました」