材料に必要な透明な樹脂は3カ月待ち

藤井は2016年11月から4カ月間、とりだい病院の救命救急センターに所属していた。そのとき、鳥取大学医学部出身の寺岡と一緒に働いたことがあった。藤井が勤務医と平行して、鳥取大学大学院の博士課程に通っていた時期だ。

駆け出しの臨床医は多忙である。加えて大学院での研究に追われていた。救急救命センターで患者が来ない夜中などを利用して、大学院の研究に使用する実験機器を製作していた。

「夜じゅう、ハンダ付けとかしているわけです。そういう姿を見て、“メカに強いんだね”って言われて。みんなからパソコンで困ったとか相談が来るようになったんです」

人のいい藤井はそうしたトラブルを自分の勉強になるだろうと快く引き受けていた。寺岡が頼ったのも、藤井のそうした性格を知っていたからだった。

寺岡からのLINEを読んだ後、藤井はとりだい病院の感染制御部、救命救急センターなどに足を運んで事情を聞いた。この新型コロナウイルスに特化した防護具はないという。鳥取県でも多数の感染者が出た場合、混乱することになるだろう。

付き合いのある材料業者に連絡を取ると、事態がさらに深刻であることが分かった。

鳥取大学医学部附属病院パンフレット『トリシル』
鳥取大学医学部附属病院パンフレット『トリシル』

「(材料業者は)透明の樹脂などの材料の在庫を持たないようにしているというんです。在庫があるとリスクになるからです。この時点で、フェイスシールドを作るのに必要な透明な樹脂は3カ月待ち。これからどんどん伸びるだろうとも言われました」

寺岡が頼んできた“つる”を3Dプリンターで作ることは難しくない。ただし、一個作成するのに約1時間。一日中、動かし続けたとしても日に24個しか作ることはできない。

「そもそもフェイスシールドに使用する厚手の透明な樹脂部材が手に入らないならば“つる”を作ったとしても、意味がない。手に入る材料を利用してフェイスシールドを作らなければならない」

夜、寺岡と話をしているとき、ある男の顔が頭に浮かんだ。サンパックの会長の森和美である。

「次世代の内視鏡を作りたい」から医師へ

藤井は87年に鳥取県倉吉市で開業医の長男として生まれた。“機械”が大好きな子どもで、どんな仕組みで動いているんだろうと、片っ端から分解して周囲を困らせたという。

幼稚園のとき、大好きだった曾祖母を亡くした。そこで、人間が死ぬということを感覚的に理解した。

「工作が好きだから工学部に行きたかったんです。でも周りから医者になれ、なれって言われる。ひいおばあちゃんが亡くなったとき、たまたまテレビで人体の特集をやっていたんです。

考えてみたら、世の中で一番難しい“仕組み”って生命、人体。先にどっちに行くべきかって考えて医学部を選んだんです」

父親からは国立大学進学を厳命されていた。科目、偏差値を鑑みて佐賀大学医学部を受験した。

「別に佐賀に行きたいわけではなかった。面接でどうしてうちを選んだのですかと尋ねられて、そのまま答えたら、お前正直な奴だなと。それでも合格させてもらった。6年間佐賀で過ごしたら、第二の故郷になりましたね」

いずれ鳥取に戻るのだ。その前にしばらく都会の病院で働くつもりだった。それでも、地元のとりだい病院は見学しておこうと思った。すると、案内役の医師から、どうして医師になろうと思ったのか尋ねられた。

工作が好きで工学部に行きたいと思っていたこと、そして次世代の内視鏡を作りたいと考えているのだと明かした。すると、男はそんなことを言う人間と初めて会ったと驚いた顔になった。彼も同じようなことを考えていたからだ。

現在、新規医療研究推進センター臨床研究支援部門長であり、医学教育学教授の植木賢である。

人は意識していなくとも、時代から背中を強く押されるものだ。そして、必要な人間と出会うことになる。何かを成し遂げる人間は特にその傾向が強い。