母親の豹変と父親の暴力

週に3〜4日もある練習会のたびに暴力を受けた山添さんは、常にあざだらけ。できたあざが治る間もなく、また新しいあざができるのだ。

小6になって数カ月経った頃、山添さんは学校へ行けなくなった。朝、普通に学校へ行くフリをして家を出て、近くの山の中に隠れて過ごし、昼過ぎに帰宅。

学校からの連絡を受けていた母親は激怒。翌日にはしかたなく学校へ行くが、しばらく経つとまたどうしても行きたくなくなり、時々近くの山で隠れて過ごした。

そんなある日、山添さんが夕食の時間にダイニングへ行くと、母親は「お前にはもう、食べさせるものはない!」と言って食卓につかせなかった。そして別の日には、父親が突然山添さんの部屋に入ってきて、無言で山添さんを投げ飛ばし、殴りつけてきた。

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「父と長兄はそっくりで、幼い頃から苦手でした。父が暴力を振るうときはいつも無言で、容赦のない強い力であざが残りました。もちろん父が怒っているのは、自分が学校に行かなかったからだろうと思いましたが、今思うと、本当は何か別のことで怒っていたのかもしれません。なぜ怒っているのか、なぜ暴力を振るうのか、言葉で正確に言ってほしかったです」

父親に暴力を振るわれた翌日から、山添さんは再び学校へ行くようになった。病気になれば休めると思い、何度か水風呂に入ったり、殺虫剤を吸ったりしたが、気分が悪くなるだけでうまくいかなかった。

中学校での苦悩

「何かが変わるかもしれない」という期待があり、中学の入学式には参加。中1の間は普通に登校した。だが中2のクラス替えで、“かつての親友”と同じクラスになった。以前は仲が良かったが、小5時に山添さんがいじめられるようになってからは、いじめられる山添さんを助けようとせず、ただ笑いながら見ていた。彼らは、まるでずっと友達だったかのように振る舞ってきた。

「彼の“友達演技”に合わせるのが気持ち悪くて耐えられなくなり、中学に通うのを辞めました。担任の先生が2度家に来ましたが、数分で帰りました。それ以外は何のアクションもなく、『そういうものなの?』と絶望しました。当時の私はフリースクールの存在すら知りませんでしたが、今思えば、学校以外の選択肢もあったはずなんですよね」

いわば、山添さんに手を差し伸べる者はいなかった。

小6の時に母親に食卓から追い出されて以降、山添さんは家族に不信感を募らせていた。兄たちはそれぞれの生活に忙しく、弟に無関心。山添さんは自室にこもり、家族が寝静まった夜中に冷蔵庫などをあさり、1人で食事をする生活を始めた。

「両親は、(山添さんが小学生時代に受けた)いじめのことを察していたと思います。もちろん学校だって把握していたはず。でも両親も学校も隠したかったのでしょう。私は誰にも相談できず、ただ学校へ行かないという選択しかできませんでした」

両親は共働き、長兄は仕事、次兄は学校のため、昼間は家に誰もいなくなる。山添さんは家族が起きてこない早朝に犬の散歩や入浴を済ませ、家に誰もいなくなるタイミングを見計らって、食材を自室に持ち込んだり、キッチンで調理して食べたりした。