人を見て法を説け
さて、新庄のケースは、指導において気をつけなければならない大原則のひとつを私に再確認させたという点でも強く印象に残っている。
「人を見て法を説け」
つまり、その人間にもっとも適した接し方なり、指導をしなければ、人は動かないし、そうそう変わるものではないということである。
人にはそれぞれ個性がある。素直な人間もいれば天の邪鬼もいるし、頭ごなしにいって聞く者もいれば、反発する者もいる。気持ちを表に出すタイプもいれば、内に秘めるタイプもいる。
相手がどんな人間であろうと説くべきことは同じ。だが、同じことをいっても受け取り方、感じ方はそれぞれ違うのである。したがって、叱るにせよ、ほめるにせよ、その人間のタイプを考慮する必要がある。
「人間」を相手にしていることを忘れない
叱られたとき、「見返してやる」とポジティブに考えられる人間なら強く叱ってかまわない。が、ちょっと叱られたくらいでシュンとなってしまう人間には諭すように叱るほうがいいし、馬耳東風と聞き流すタイプを頭ごなしに叱りつけても効果は薄い。
ほめる場合も、素直に喜んでやる気を出す選手ならいいが、図に乗ったり、勘違いしたりする人間に対しては注意が必要だ。また、直接面と向かって叱ったりほめたりしたほうがいい人間もいれば、誰もいないところで言葉をかけたほうがいいタイプもいる。
要は、その人間の性格を考慮したうえで、適切な時期に、適切なやり方で、適切な言葉をかけること。それが大切なのである。