企業カルチャーと宗教の類似性

「組織のため」「地域のため」「祖国のため」というように、自分よりも大きな存在や共同体とのつながりに身を投じるのは、人間としてクラシカルな幸せの一つだと思います。前述の突然休職した知人との談話の中で、強いカルチャーと宗教の類似性が話題に上がりました。

もちろん、宗教や信仰そのものを否定するものではありません。私自身も仏教の考え方に大きく影響を受けていますし、信仰心と幸福感の相関を示す論文なども枚挙にいとまがありません。しかしながら、善く生きることにつながる「良い宗教」と、そうではない「カルト的宗教」の違いは明確にあると思います。

宗教との良き関わりは、「信仰者自身が地に足がついていて、ある程度合理的な判断ができる状態であること」が前提にあります。そして、自我がおぼつかない状態の人を狙ったり、合理的な判断を失わせるような関わり方をしたりするようなものが「カルト」であると言っていいでしょう。

自我(アイデンティティー)を確立する以前の未熟な心の状態のことを「プレパーソナル」な状態と呼びますが、この状態で関わると、カルト的な関わりになる危険性が高くなります。

新卒社員というのは、社会人としてのアイデンティティーが確立しておらず、いわば「社会的プレパーソナル」な状態であることが多いため、強いカルチャーをもった共同体との同一化によってアイデンティティーの埋め合わせを図るというのは、自然なことのように思います。

そこで企業との利害が一致してしまって、「殉職」のよう働き方になってしまうことがあるのです。非常に大きな充実感がある一方で、どうしてもわが身を省みない働き方になってしまいやすく、長続きさせるのは難しいでしょう。