まず「この夢は、恐ろしい夢。よい夢は、3年は語らないものです」と妹を不安にさせる。そして、「夢を売り買いすれば、難を逃れることができます」ともちかけ、本当は妹が見ためでたい夢を妹からだまして買ったのだ。その代わりに妹には、北条家に伝わる鏡が与えられたという。
少し前までは、めでたい夢といっていたのに。その舌の根の乾かぬうちに方便を編み出し、目的を達する。政子、したたかな女性である。
監視役の目を盗み、その娘と交際
同時期、伊豆の流人・源頼朝は、悲しみの底に沈んでいた。
平治元年(1159年)の平治の乱に敗れ、伊豆に配流されていた頼朝は、監視役である伊東祐親の目を盗み、その娘と交際して子までなしていた。
京都滞在中にその一件を知った祐親は激怒。頼朝と娘を強引に別れさせたばかりか、その二人の間にできた子を殺したのだ。
危うく自身も殺されそうになった頼朝は伊東のもとを逃れ、北条家にかくまわれることとなる。おそらく、そこで北条時政の娘たちと出会った。
懲りない男・頼朝はまたも女性に接近し…
しかし、頼朝は、いつまでも悲しみに暮れているのもいけないと思ったのか、頼朝は北条家の19歳になる次女に手紙を送ろうとした。(時政の娘は3人いたが、なぜ19歳の次女と接点を持とうとしたかは分からない。17歳の三女では若すぎるとでも思ったのだろうか)
だが、頼朝のそば近く仕える安達盛長が「次女には悪女の噂がある。長女の方が良い」として、宛名を勝手に政子の方にして手紙を送ったのだ。『曾我物語』によると、これが機縁となり、頼朝と政子は出会い恋愛関係に発展したという。
京都にのぼっていた政子の父・時政は、京都から伊豆に下向途中に、このことを聞き、大いに驚いたとされる。
それにしても、頼朝は女性の父が留守の間に、その女性に手を出すということを繰り返している。伊東祐親の娘の時もそうであった。それで痛い目に遭っているのに、懲りないといえば懲りない男である。
親が決めた結婚相手のもとを去る政子
源氏の御曹司を婿に取るのも悪くないかと思う時政だが、同行していた伊豆国の目代(代官)である山木兼隆(平家方)に「あなたを、この時政の婿にしよう」と話したばかりであった。
政子を頼朝に嫁がせてしまっては「源氏の流人を婿にした」と兼隆から平家に訴えられないとも限らない。そう考えた時政は、伊豆に着くと、政子と頼朝を無理やり引き離し、政子を山木に嫁がせてしまったのである。