ロマネ・コンティに「美味しさ」は必要ない
最後に、フランスを代表する飲食物であるワインを事例にブランドを語ってみたいと思います。
フランスワインの最高峰は、有名なロマネ・コンティです。ロマネ・コンティは時に1000万もの値段が付くことさえあります。当然、私は飲んだことがありませんので、どんな味がするのかは知りません。たぶん、美味しいワインなのでしょう。しかし、ロマネ・コンティの商品価値において、美味しいかどうかはほとんど関係がないのです。
そもそも「味覚」を構成するのは、科学的で客観的な指標だけではないのです。味覚は社会や文化のありようはもちろん、個人的な主観も多分に含んでいます。それでは、どうして必ずしも絶対的に美味しいわけでもないワインが、こんな値段でも売れるのでしょうか?
それは、ロマネ・コンティを頂点にして、ワインを広く楽しむ「文化」が、社会に受容されているからです。
その文化には、広い裾野があります。まず、農作物にとって何より重要な自然環境です。天候の良い年には糖度の高い素晴らしいブドウが出来ますが、天候の悪い年のブドウはそれ相応の糖度しかのりません。当然、その年のブドウを発酵して製造したワインが平年並みの天候の時と同じ質になるはずがありません。つまり、年によってはワインの出来が良くないこともあるわけですが、製造年による出来の違いも「文化」として許容されているのです。
また、ワインをたしなまれる皆さんであれば常識かもしれませんが、ロマネ・コンティをはじめとするフランスワインには、「テロワール」という考え方が存在します。日本語に訳せば適地適作、その土地に相応しいブドウとやり方でワイン作りをしましょう、という考え方です。その中でも、ロマネ・コンティは神に約束された「奇跡のテロワール」とされます。
ブランド価値を創造する「テロワール主義」
テロワールは知財の一つであり、GI(地理的表示)保護制度の基礎となった考え方ですが、必ずしも美味しさや品質の科学的な根拠ではありません。畑によって作物の味が変化することは農家にとっては常識ですが、だからと言って特定の地域でなければ最高品質のワインを作ることができないという考え方には科学的な裏付けはありません。
もちろんロマネ・コンティが美味しくて最高品質であることは間違いないのでしょう。しかし、畑自体はわずか1.8ヘクタールしかなく、ロマネ・コンティの存在するヴォーヌ・ロマネ村、そしてブルゴーニュ地域には、他にも数多くのテロワールが存在しています。周辺のテロワールでも、赤ワインであればロマネ・コンティと同じピノ・ノワール種のブドウを使っているわけですから、飲み比べたらロマネ・コンティと遜色ないワインはいくらでもあるはずです。
しかし、「テロワール」という考え方と、その文化を受容している人たちにとっては、「ロマネ・コンティ」というブランド自体に価値があるのです。
すなわち、フランスワインにおいては、カロリー摂取や栄養摂取はもちろん、美味しささえも直接的な商品価値とは関係がありません。このテロワール主義という消費文化こそ、フランスワインの商品価値を支える最大のポイントなのです。