比例代表制と小選挙区制

ところで、「参政権の平等」と「定期的で頻繁な選挙」という二つの条件に関しては特筆すべき別の点がある。それは、二つの条件のどれを重視するかによって、選挙についての全く異なる理解を引き出すことができるということだ。

参政権の平等という条件を重視する立場からすると、選挙は、国民全体を代表する多数派の利害関心や意思の表明として理解され、その利害関心や意思によって代表者の政治権力の行使は正統化される。別のいい方をすれば、選挙によって表明された国民に共通な意思に従った政治を行わせることで、代表者による権力の私物化や専制を防ぐ。これは、正統性に関する実質的な理解と呼ぶことができるだろう。

定期的で頻繁な選挙という条件を重視する立場からすると、選挙は国民の利害関心や意思の表明というよりは、政治権力を行使してきた代表者の業績に照らして賞罰を与える機会として理解される。賞を与えるか罰を与えるかをめぐっての国民の審判によって、政治権力の行使が正統化されるのだ。

換言すれば、この審判によって、特定の集団や代表者による権力の私物化や専制を防ぐ。これは、正統性に関する手続き的な理解と呼ぶことができる。

藤井達夫『代表制民主主義はなぜ失敗したのか』(集英社新書)

この相違から望ましい選挙制度も異なってくる。前者を重視する立場は、有権者の投票がより正確に議席数に反映される比例代表制を望ましいとする傾向にある。他方、後者を重視する立場は、死票が多く得票数と議席数が不釣り合いとなるが、政権交代が起きやすい(賞罰を与えやすい)とされる小選挙区制を好む傾向にある。

こうした違いはあるものの、国民の意思の表明という実質的な強い正統性と国民による審判という手続き的な弱い正統性という双方の理解には、明らかな共通点がある。それは、選挙が、権力の私物化による専制政治を防ぐ手段と見なされている点だ。このことが何より重要だ。

すなわち、民主主義的な正統性を政治に供給することができる唯一の手続きが、誰もが参加でき、しかも定期的に行われる選挙だとして想定されてきたこと。それゆえ、選挙は代表制度によって民主主義の理念を実現する上での中心となる手続きだと想定されてきたということだ。

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