「権力行使が正統に行われるのは同意がある場合のみ」
古代と近代の民主主義の差異の一つは、民主主義の理念を実現しようとする上で、前者が市民による政治権力の行使の平等性に依拠したのに対して、後者は、政治権力の行使に対する同意としての正統性に依拠した点にある。近代の民主主義が同意による権力の正統化に非常にこだわったわけを理解するには、その復活に大きく関わる近代市民革命の核心に何があったかを見る必要がある。
近代に民主主義を復活させた18世紀の二つの革命、すなわち、アメリカ独立革命とフランス革命、そしてそれらに先行した17世紀のイングランドでの二つの革命は一般に、市民革命と呼ばれる。これらの革命に共通する核心的なモットーは、ジョン・ロックの「本来、万人が自由平等独立であるから、何人も、自己の同意なしにこの状態を離れて他人の政治的権力に服従させられることはない」という有名な一文にある。
そこで言い表されているのは、「あらゆる権力の行使が唯一正統な形で行われるのは、それに従う者の同意がある場合のみである」という政治的正統性についての考えだ。
この考え方は、グロチウスやホッブズ、プーフェンドルフらに始まる近代自然法学派の下で社会契約論として発展してきた。
さらに、ルソーが政治権力の正統性に関する理解をさらに発展させる。彼は、唯一正統な権力の行使を人民の意志に基づかせることで、君主主権論に対抗する人民主権論を打ち立てたのだ。
このように、近代の民主主義の始まりには、神とその代理人である国王ではなく、国家を構成する人間たちの間の同意に政治権力の源泉と正統性を見出そうとする理論と実践が活発化していた。そしてフランスでの市民革命だ。そこで、人民主権論は何より、権力を私物化し専制政治を敷いた国王に対抗する正統性のイデオロギーとして理解され、新たな政治体制の構築のための根本原理として用いられた。
このように、近代の民主主義の始まりには、同意による権力の正統化の問題があったことが見て取れる。また、それゆえ、近代の民主主義は、古代の民主主義のようにたんなる統治の形態──一人の支配=君主政、少数の支配=貴族政、多数の支配=民主政──を意味するだけでなく、支配と被支配の関係を根拠づける規範──「誰が支配すべきか」「どうして服従すべきか」といった問いに対する回答になる──という意味を獲得することになったと説明できるのである。