「親権への遠慮」は昭和時代から変わらない
では、なぜ日本では「子どもの人権」という視点が欠如していたのか。1933年に発行された『児童を護る』(児童養護協会)のなかで、東京帝国大学教授の穂積重遠氏はこう分析をしている。
「親が自分の子供のことを始末するのだから、それにどうもあまり立入ることは宜しくあるまいといういふことで、この親権といふものに遠慮していたといふことが、少なくともこの児童虐待防止法といふものが今まで制定されたなかつた一つの理由ではなかったらうか。斯う思ふのであります。(中略)この時計は私の所有物であるといふののと同じやうな意味で、子供は親の所有物だといふやうな意味から、親の権利として親権といふものが認められるやふになつて来たに相違ないのであります。沿革上は確かにさうであります」(『児童を護る』児童養護協会 33ページ)
この「親権への遠慮」が現代日本でも健在であることは、先ほどの5歳女児のような虐待を受ける子どもたちが後を絶たないことがすべて物語っている。児童相談所が、虐待の事実を確認しても、子どもが「助けて」と訴えても、保護をせずに家庭へ送り返すのは、子どもが「親の所有物」だからなのだ。
「親の所有物」という考えが無理心中を生む
この日本独自の人権感覚を象徴しているのが、「こども庁」に「家庭」にねじ込んだ人々の「親が幸せにならないと、子どもも幸せにならない」という主張である。
パッと見、正論のような印象を受けるだろうが、冷静に考えれば、これは子どもを「独立した1人の人間」ではなく、「親の付属品」だと捉えていることに他ならない。このロジックでいけば、親が不幸になったら、子どもも不幸にならなくてはいけないし、親が人生に絶望をして死を選ぶなら、子どもも後を追わないとといけない。「無理心中」で我が子を道連れにする親の頭の中でほとんど変わらない考え方だ。
こういう「子どもは親の所有物」という考えが根強く残るこの国で、子ども行政に「家庭」という概念がねじ込まれることが、子どもたちにとってどれほど「最悪」なことかというのは容易に想像できよう。