子ども行政に「家庭」がねじ込まれるリスク
2018年の悲劇を受けて、児童相談所も他県からの転居を受けた情報共有体制や、警察との連携を強化している。東京都でも、日本で初めて保護者の体罰を禁止する条例ができるなど、少しずつではあるが、子どもの人権や命を守る動きが進んでいるのだ。しかし、そのようないい流れが一気にひっくりかえってしまう恐れがある。
子ども行政を司どる機関の名称に「家庭」の2文字がねじ込まれるということは、この機関の法的根拠にも「子どもは家庭を基盤に成長する」という理念が明文化されるということだ。公務員というのは基本的に、法令などの範囲でしか動けないので、こういう文言がある限り、どんなに子どもがアザだらけでも、ボコボコに殴られていても、児童相談所は「親権に遠慮」しなくてはいけない。
それはつまり、「パパ、ママいらん」と行政に救いを求めながらも、「家庭」という地獄へ送り返された、あの5歳女児のような犠牲者がこれからも増えていくということでもあるのだ。
「家庭」という地獄で苦しむ子どもを救えるか
「子どもが家庭を基盤に成長をする」というのは当たり前だ。「子どもは親と一緒にいることこそが幸せ」というのもよくわかる。しかし、世の中はそんな幸せな子どもばかりではない。
たまたま戸籍上は親にはなったが、「親になってはいけなかった人」がたくさんいるからだ。彼らはわが子を「モノ」のように扱って、自分の気分で手を上げる。さらに最悪なのは、自殺するのに道連れにする。昨今話題になった「親ガチャ」ではないが、このような「親になってはいけなかった人」のもとで生を受け、「家庭」という名の地獄で苦しむ子どもたちにこそ、「子ども行政」は必要なのである。
そんな役所の名称に「家庭」を強引にねじ込む。そういう日本の政治家の旧態依然とした人権感覚が、年間20万件の児童虐待相談件数と、「子どもの精神的幸福度38カ国中37位」という今につながったと言っても過言ではない。
創設まではまだ時間がある。自民党議員の皆さんは、ぜひもう一度、この役所が、自分たちの支持団体のためではなく、子どもたちのためにあるということを再認識していただきたい。