現在、箱根駅伝を本気で目指しているチームでアルバイトをしている選手はまずいないし、授業料免除の選手も少なくない。興味深いのは、大八木監督は当時の苦労話を選手たちにあまりしていないことだ。
「今の選手は想像できないですよ。ぽかんとなっちゃうから(笑)」
これだけ多忙なスケジュールは決して「気合」や「根性」だけでは乗り切れない。緻密な計画と、自己管理があったからこそなせる業だ。
過去のデータを参考にして、0.5秒遅くても注意する
大学卒業後はヤクルトで6年間の実業団生活を送り、選手として4年、残り2年はコーチとして活躍した。そして36歳のときに母校に戻ってきた。1995年のことだ。当時の駒大はどうにか予選会を通過できるようなレベルだった。チーム力を伸ばすために、大八木監督は“スーパーエース”を育てることを一番意識したという。
「とにかくエースを育てないとチームはまとまらないと思ったので、最初にエースを育てたいと思っていました。エースがいれば、みながついていき、チームの方向性が固まる。組織はまっすぐ進んでいきますよ」
コーチ就任1年目に入学した藤田敦史(現・駒大コーチ)がスーパーエースに育つと、チームは変わっていく。箱根駅伝は就任2年目の1997年に復路優勝。同4年目の1999年には往路を初めて制した。藤田の背中を追いかけてきた選手たちが育ったことで、2000年に初の総合優勝に輝くと、2002年からは4連覇を達成。いつしか駒大は「平成の常勝軍団」と呼ばれるようになっていた。
近年はGPSウオッチなどでさまざまなデータを蓄積できるが、大八木監督はアナログなやり方ながら過去の練習日誌などを丁寧に保管。継ぎ足しながら作られる“秘伝のタレ”のように長年蓄積してきたデータを指導の“スパイス”にしてきた。
筆者が驚いたのは、夏合宿で使用している長野・野尻湖のデータだ。大八木監督が現役時代から使用しているコースでもあり、ある特定区間のラップタイムをすごく気にしていた。大八木監督のなかでは参考にすべき数字があったのだろう。
「藤田が福岡国際マラソンを2時間6分51秒で走ったときのデータもありますし、もちろん箱根駅伝のものもある。どこのコースでどれだけのタイムで何人やったとか。過去のデータを参考にしながらチームの状態を確認しています」
また大八木監督は設定タイムについても非常に厳しい。トラックのスピード練習では400mトラック1周で「0.5秒」遅くても注意する。反対に「1秒」速くても許さない。
ペースをキッチリ守るということはトレーニング成果にもかかわってくるだけでなく、単独走となる駅伝では非常に重要なスキルとなる。4連覇時代、駒大のミスが非常に少なかったのは、練習時の細かいタイム設定があったからだ。
しかし、駒大は2008年を最後に箱根駅伝の栄光から遠ざかることになる。