いなきゃ困るけど、何もしなくていい

進行役は必要だけど、司会進行はいらない。

アナログからデジタル化への流れが加速したのと同様、今、「会を司る」という機能は、時代の要請ではないんです。

今や、会を司るものが必要なのは、結婚披露宴と葬儀と首相会見の記者との質疑応答の時くらいでしょう。

でも人間は、過去の絵巻を鑑みる習性のある生き物です。

司会が不要になっても、司会的メルクマールは鎮座していてほしい。それがご本尊化したタモリさんであり、ビートたけしさんです。

もはやクフ王の大ピラミッドの前のスフィンクスみたいなものです。いなきゃ困るけど、何もしなくていい。

タモリさんの『ミュージックステーション』、たけしさんの『TVタックル』然り。もうそうなっていますよね。『ミュージックステーション』なんてほとんどしゃべってないから、いっそ動かないでもらいたいと思うぐらい。タモリっていうエンブレムがそこにあればいいんです。

そこに時々、『ブラタモリ』なら「坂が好き」とか「傾斜が好き」とか「歴史に造詣が深い」といったことが加味されて、すごい! って話になるわけじゃないですか。

『タモリ倶楽部』だって、キャッチフレーズの、

「流浪の番組『タモリ倶楽部』です」

をこの頃言わなくなりましたからね。あの番組自体が記号化しているところがあるから、「流浪」の「る」を言っただけで通じるっていうのもあるんでしょうね。

メルカリのCMもそうです。タモリさんはマンションの管理人さんみたいな役どころで、建物から学生らしき若者が出てくる中、枯れ葉を掃除しながら「メルカリ」って言うだけ。もはや、ほうきを持った妖精です。

ビールのCMにも出演していますが、あれも「こりゃ、美味いねえ」って言っているだけでこっちは大満足。とげぬき地蔵の秘仏のような有り難さです。

写真=iStock.com/DianaHirsch
※写真はイメージです

神格化するから、45年前経っても色褪せない

しかし、昔のタモリさんをアーカイブ映像で見ると、すごくアグレッシブです。

有名な四カ国語麻雀やイグアナのマネだけじゃなく、わけのわからないシュールなしぐさを続けたり、ビジーフォーと絡んでナンセンスなジョークを言い続けたり、さすがは唯一無二の存在、すべてが面白い。

2014年にオンエアしていた『ヨルタモリ』でやっていたヘビーメタルのマネとかは絶品。既存のお笑いを超えている。

一世を風靡ふうびする人には、ある意味テロリスト的な要素があり、予定調和をぶち壊す役目を担っているのです。

それにしても、45年も前のタモリさんのアーカイブ映像を見ても、45年前のものには見えない。色褪せていないんですよ。

あの感じは、2018年の第69回NHK紅白歌合戦に特別出演した桑田佳祐さんに通じるものがありますね。『希望の轍』と『勝手にシンドバッド』を歌いましたが、『勝手にシンドバッド』に至っては発売年が1978年です。それなのに全然、色褪せていない。

何でこんなに変わらないんだろう? と思ったら、なんのことはない。見ているこっち側の脳が曲や存在を神格化して、固定しちゃうんです。諸行無常ですから、タモリさんだってそりゃ変わっていくわけです。

だけど、こっちの脳が固定しちゃうから、30年ぶりにスフィンクスを見に行っても変わらないように感じるのと同じなんですね。