「可能性がある」と「エビデンスが得られた」は違う
【佐藤】「こういう可能性がある」「期待がある」という状態と、明確なエビデンスが得られたという事実とは、はっきり分けて考える必要がある。これは、サイエンスのイロハです。
【斎藤】そこを飛び越えて、「すごい成果だ」「脳の研究は、もうここまで進んだのか」というふうに、幻想が際限なく拡散するという状況は、やはり問題だと思うのです。
【佐藤】かつて、捏造が露見して放映中止になった「健康番組」がありましたが、エビデンスが不確かな情報を流布して恥じないメディア状況は、あまり変わらないような気がします。
【斎藤】それも大変困ったことです。テレビをはじめとするメディアこそ、幻想を広げる道具になっていますから。
ともあれ、脳に関しては、その謎に取りついて、周囲にどんどん仮説を集積させているというのが現状なのです。
【佐藤】仮説を積み重ねていくという作業自体は、意味のあることです。ただし、例えばそこに反証主義的な手続きを導入して検討を加えていくといったことが、不断に行われる必要がある。仮説が公理のようになるとしたら、大きな間違いを犯すことになりかねません。
【斎藤】そういう冷静な視点をぜひ持っていただきたいというのが、私の切なる願いです。