「気分の落ち込みは薬で操作すればいい」への疑問

【佐藤】それで、とりあえず心の平静は保てるかもしれません。他方、そのように問題を自分の外に置くことで、解決を遅らせたり、さらにこじらせたりする可能性もあるように感じます。

【斎藤】加えて、そうした考え方は、気分が落ち込んだりするのも脳の問題なのだから、サプリメント的に向精神薬を使って調整しましょう、といった脳の「操作主義」とも親和性が高いことも押さえておく必要があります。

【佐藤】上手に薬を投入してやれば、脳内分泌物がファインチューニングされて、心も平常に戻るだろう、と。

【斎藤】でも、それは精神薬に確かな効果があるという前提があって成り立つわけで、私は大いに疑問を抱いているのです。少なくとも、そのエビデンスについてのもっと踏み込んだ検証が必要だと思うのですが、そこがスルーされて、操作のノウハウだけがどんどん精緻せいちになっていく。

【佐藤】昔のラジオのように、微調整しながら聞こえるようにしましょう、というわけにはいきそうにない。脳は、そんなに簡単にはできていないということですね。

さまざまな錠剤
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「オキシトシンの効果」は人間では証明されていない

【斎藤】さきほども言いましたが、まだまだブラックボックスのまま、というのが正確だと思います。

今脳科学の名の下に語られていることを丸ごと信じている人には悪いのですが、いまだに人間の社会的・文化的行動を脳との関連で直接説明できた試しはないのです。せいぜいマウスなどを使った実験結果を、人間にもあてはめて類推している段階なんですよ。結構知られている言説で一つ例を挙げれば、オキシトシンというホルモンが脳内で分泌されると、人の社交性を高めるというお話。

【佐藤】「幸せホルモン」ですね。

【斎藤】そうです。恋人やペットと触れ合うと分泌され、不安や恐怖が減少したり、他者への信頼感が増したり、いいことずくめの「効果」があるというのを聞いたことがあると思います。でも、オキシトシンに動物の愛着行動を促進するエビデンスはあっても、人間については、はっきりした根拠はありません。

【佐藤】オキシトシンは「幸せホルモンだ」という本を読んだ人は、「えっ?」と思うのではないでしょうか。

【斎藤】斎藤環という精神科医が、ウケたいがために嘘をついている、と(笑)。しかし、それが事実なのです。にもかかわらず、専門家が既知のことであるかのように説明すると、みんながそれを信じ込んでしまう。

オキシトシンが、実際に人間にとっての「幸せホルモン」である可能性はあるのです。でも、現状では、残念ながら可能性でしかありません。