まず企画ありきで、俳優をキャスティングする
俳優側の事情もある。2000年代初頭に出演していた主役・脇役がそのまま年齢を重ね、相も変わらず同じような役柄を何度も演じている限り、地上波ドラマでは物足りない視聴者層が出現するのは当然である。
地上波が従来のままのセオリーとパターンで同じ俳優をもとに企画を考えているのに対し、ケーブル局はまず企画ありきで、俳優のネームバリューに頼らず、企画に合わせて俳優をキャスティングするのが基本である。意欲的な作品を生む土壌は何年も前から整備されていたといえるだろう。
そういった視聴環境の変化に同調し、新たな視点で製作されたケーブル局から前述の傑作群が量産されていくのであれば、韓国・日本はもちろん、どこの国の視聴者も、従来視聴してきた「地上波の韓国ドラマ」だけでは満足できなくなる。
恋愛ドラマ「冬のソナタ」で一世を風靡した、日本における韓国ドラマ人気は従来「女性」によって語られることが多かった。商業番組である以上、視聴者のほとんどを占める女性の人気獲得は必須といえるものだったが、2010年代以降の韓国ドラマはそうではない。
いつの時代になっても、ブーム的な人気獲得はその商品性を左右する重要な要素だが、それ以外の視点で語るに足る作品が続出してきたといえばいいだろうか。概して、女性は分析に興味がないといわれるが、それだけに「感性」については突出しているわけで、だからこそ、これまで韓流ブームを牽引することができたのだと思う。
だが、今回の第4次ブームともいえる韓国ドラマの傑作の数々は「男」の視点で見ることも十分可能であり、先述した要素をもとに、一つの「ドラマ作品」として虚心に分析することは、間違いなく、新しいドラマ世界の発見に結び付く。
日本のテレビドラマが韓国ドラマに追い付けないワケ
本書では2010年代からの韓国ドラマの特性を分析しているが、その比較として日本のテレビドラマを挙げていることについて他意はない。
現在の日本のテレビドラマのクオリティが韓国ドラマに比して格落ちしているように見えるのは厳然たる事実だが、誤解しないでほしいのは、日本のテレビ製作のスタッフ・演出・脚本・俳優が劣っているわけではないということだ。
日本独自の才能は確実に散見できるし、筆者はある意味、人材の宝庫だと捉えている。
しかし、現実的にスポンサーが付くドラマの企画が、2、30代の若い女性の視聴者層向けの作品しか要求されず、それ以外のドラマを製作する機会がないのであれば、いくら才能のあるスタッフ・俳優がいても、意欲的な作品の展望は見付けにくい。単に作品の企画に恵まれていないだけだ。
「半沢直樹」のような作品がそうそう作れないのは当然にしても、特定の年代を対象にしたドラマ作りにはやはり限界がある。それ以外の年代を対象としたドラマが放送されないのであれば、シニア世代が韓国ドラマに向かうのは必然ともいえる。
この現状を打開するために、選択肢の一つとして、日本のどこかのテレビ局が、韓国のドラマ製作会社と提携することも十分考えられる(と思っていたら、実際に、2021年6月15日、TBSとCJENMが製作提携する旨のニュースが伝えられた)。
現在、日本の映像作品とは、必ずしも日本資本で製作されたものだけを指すのではなく、日本人監督を始めとした、日本のスタッフによって製作された映像全般(映画・ドラマ)と捉えるべきなのかもしれない。
日本のドラマが停滞している最大の理由は、俳優・スタッフではなく、企画(特定の、若い年代層だけを対象としたドラマを作り続けなければならない制約)の硬直化にあるのだから、斬新な企画による、日本のテレビドラマ作品がNetflix配信作品として選定されれば、突破口となる可能性は大いにある。