テレビは既に単なる端末のモニターにすぎない

現在、Netflixで視聴している限り、韓国ドラマとアメリカ・ドラマは、視聴ソフト・コンテンツとしては、ほぼ同一線上にあるといっていいだろう(その意味でいえば、現在、日本の民放テレビ局で、Netflix、Amazonプライム、ディズニープラス等の配信番組のCMが流されているのは、将来のライバルの手伝いをしているようなもので、全く理解できない)。

特に、「愛の不時着」「梨泰院クラス」「賢い医師生活」は未だにNetflix独占配信となっていることもあり、独占配信契約が順次自動更新されていくのであれば、日本はもちろん、世界でも、テレビ放送・DVDのいずれでも永遠に見ることができないソフトとなる(配信契約に配信期間内のソフト化を禁止する条項があると思われるが、そもそもソフト化という概念自体が最初からないのかもしれない)。

また、韓国・日本を問わず、今まで通常の流れだった、放送後にDVD化(レンタル・セル)という図式が崩れ、ネット配信等によって、最初から「ネット有料動画配信で視聴して終わり」という流れで完結してしまうと、テレビドラマ(韓国ドラマに限らないが)を取り巻く視聴環境は一変する(というか、完全に一変している)。

さらに、映像ソフトとしては、家庭でのテレビ視聴だけではなく、パソコンでもスマホでも視聴可能な(さらに映画館でも公開できる)「ドラマ映像」という意味に入れ替わっている(単なる「テレビ番組」として作られた「テレビドラマ」ではないことから、本書でもそういう意味も含んで使用している)。テレビは既に単なる端末のモニターにすぎない。

時代遅れの地上波ドラマと刺激的なケーブル局のドラマ

二つ目は、韓国ドラマにおける基本的なテーマの変容である。

当の韓国でも地上波放送を見ているのは相も変わらず旧世代が多く、ケーブル放送ドラマは若い世代専門の作品だけではないにしても、特定の世代で共感を得た意欲的な作品──例えば「応答せよ」シリーズ──が多いことは誰の眼にも明らかだ。

特に、WEBマンガを原作とした刺激的なドラマ製作は地上波では到底考えられないためか、ケーブル局の特性の一つとさえなっている。

2020年に限っていうならば、先述の3作品を見た後で、地上波の家族ドラマを見ると、あまりにも古色蒼然こしょくそうぜんなのに唖然あぜんとする。

毎日の日日ドラマ(NHK同様、毎日放送される連続ドラマのことで、現在はいずれも地上波だけで、朝の時間帯7~9時にSBSとMBC、夜の時間帯19~21時にKBS‐1、2の放送枠がある)に特に顕著なのだが、古い時代の家族ドラマを未だに見ているようなもので、時代遅れの感は否めない。

韓国ドラマでさえそうなのだから、そうした眼で見ると、日本のシニア視聴者にとって、我が日本のドラマはほとんど論外の産物である。