「大学ではとりあえず当時のはやりだったテニスサークルに入ったりとか、いろいろいくつかやってみたものの、どれもしっくりこない。子供の頃から、私は車が大好きでした。けれど仮に安く手に入れることができたとしても、学生の身、それも東京では置き場所の確保すらままなりません。だったら時間があるうちに、バイクにでも乗ってみようかと思い立ったんです」

中型免許を取得した彼女はいそいそとバイクショップを訪れ、意中のモデルを購入したいと店主に告げる。

「当時とてもかっこよかった『白く』て『4気筒』で『400cc』の、ヤマハFZR400です。GPライダーの平忠彦さんが、鈴鹿8耐に出場して盛り上がっていた頃でしたから」

バイクとの出会い

だがその店主は、客の要望を受け入れてくれなかったのである。

「『そんなもん乗れるわけないだろ!』と散々お説教と説得をされて……」

FZR400はバリバリのレーサーレプリカで、免許を取ったばかりのライダーがおいそれと操れるような代物ではない。昔の町のバイク屋には、客が欲したモデルであっても、当人のためを思い首を縦に振ってくれない頑固オヤジがけっこういたものだ。

「結局、半ば強引に勧められて買ったのが、『黒く』て『2気筒』で『250cc』のカワサキGPX250Rでした」

写真提供=カワサキモータース
桐野氏の人生初バイクとなった『GPX250R』

基本性能がしっかりしていながら、初心者にも扱いやすいと評価が高かったモデルである。バイク屋の店主のおせっかいがきっかけとはいえ、ライダー人生のスタートから桐野氏の相棒はカワサキだったのだ。

もっともバイクデビューを果たしたばかりの彼女は、GPXでさえ持てるポテンシャルを存分に引き出せなかった。

「必死にアクセルを開けているつもりなのに、原付にもバンバン抜かれるからメーターを見てみると、時速30キロも出てない。生まれて初めてバイクで公道を走る私にとって、それが恐怖心を感じずに出せる精一杯のスピードだったんです」

それでもめげず頻繁に箱根へ繰り出し始めるとすぐ、250ccでは登り車線でパワーが足りず、大排気量車に置いていかれる状況に不満を募らせるようになった。

「もちろん一番は、自分の力量の問題です。けれどどうしても『もっと排気量の大きいバイクに乗りたい』って思いが抑えられなくなりまして、当時は一発試験しかなかった限定解除免許を取りに行きました」

学生時代の相棒はナナハン

初回の受験時は事前審査で大型バイクのセンタースタンドすら立てられず、あえなく撃沈。しかしそこから奮起し、男性でも5回、10回の不合格は当たり前だった時代に、わずか3度目の受験で難関を突破する。

限定解除が取れたとなるとライダーたる者、すぐにでも大排気量車が欲しい。しかし人生初のバイクを買ったばかりで、資金がない。

「あきらめかけていたところ、例の店の常連客で複数台のバイクを所有していた方が、『乗り切れないのがあるから、1台譲ってあげるよ。値段はGPXを下取りしてもらった金額でいいから』と申し出てくださったんです。どんなバイクなのかもろくに確かめず、即座に『ぜひお願いします!』と」