新車での購入からまだ4カ月しか経っていなかったけれどGPXを手放し、待望の大型車を引き取りに行ってみると、待っていたのはまたもやカワサキの、Z750GP。以降の学生時代は、ずっとそのナナハンでたくさんの道を走り抜けた。
「自由に、どこへでも行ける気分を味わえる。そして仲間とのツーリングを通して、人との交流ができる。私がバイクに心を奪われたのはそこですね。性能のいいモデルだと、アクセルを開ける楽しみというのもありますし」
意外な志望動機
となると就職活動時に川崎重工を志望したのは、自身がライダーで、カワサキ車を乗り継いできた思い入れもあって、バイク部門の仕事がしたかったからだろうと想像してしまう。しかし、実際の動機は違う。
専攻していたペルシャ語はイランの公用語なので、桐野氏は大学在学時にイランやその隣国であるトルコを度々訪れている。何度目かのトルコ旅行の際、同国のヨーロッパ部分とアジア部分を隔てるボスポラス海峡近くでバスを待っていた時のことだった。
「たまたま居合わせたトルコ人男性と言葉を交わしていると、彼が『海峡にかかっている第二ボスポラス橋を見たか? あれは、あなたの国の日本が架けてくれたものだよ』と教えてくれたんです」
当時、同海峡には2本の橋が架かっていた。新しい方のファティーフ・スルタン・メフメト橋(通称・第二ボスポラス橋)は1988年、日本政府の開発援助によって建設されている。
「その話にすごくロマンを感じて、日本の技術力で新興国に貢献する仕事がしたいと思うようになったんです。実現できるとすれば、重工業系の会社。しかもカワサキ車に乗っていましたから、迷わず川重を志望しました」
川崎重工初の女性駐在員
1991年4月に入社すると、早々に人事部から配属の希望を尋ねられた。
「当時の川重は入社時に勤務地と製品と職種の希望を言えて、その中のひとつは必ずかなえてくれました。私は『東京』『プラント』『営業職』と伝えたんですが、結果は『明石』『オートバイ』『営業職』。確かに就活時の面接でZ750GPに乗っているとは言っていましたから、人事にしてみれば『こいつはオートバイやらせるしかないやろ』って考えますよね」
兵庫県・明石に拠点を構える川崎重工のオートバイ部門営業職とは、市場予測と生産対応を行い、世界各国にあるカワサキ販売会社にどのモデルを何台届け、それぞれをいかなる値付けで売るかを決めるというものだ。
明石勤務の10年目、桐野氏は2001年1月からフランスでの現地販売法人『カワサキモータース・フランス(KMF)』へ出向せよとの辞令を受け取る。川崎重工として初の女性海外駐在員だった。