「食卓に届ける」ということ
新商品の企画では消費者の声を聞くことが欠かせない。自宅を訪問して、キッチンでつくるところや冷蔵庫を見せてもらうことでヒントも得られた。試行錯誤しながら商品を設計すると、経営陣を説得し、営業をかけて売ってもらえるようにプレゼンするのも大変な労力がかかる。それでもまったく売れず、すぐに終売が決まってしまうこともあり、悔しい思いを幾度も経験した。そんな久森さんにとって忘れられない思い出がある。2011年3月の東日本大震災から数カ月後のことだ。
「それは東北で被災されたお客さまの声でした。数カ月ぶりに家へ帰った時にトマトの炒め物を食べたそうで、『気持ちが沈んでしまい、なかなか思うものを食べられなかったけれど、食卓に赤い炒め物が出てきたときにすごく心が明るくなりました』という声をカゴメに届けてくださったのです。私が担当したトマトの炒め物調味料で、出来上がりが赤いメニューになります。当時は全然売れずに落ち込んでいたので、私自身も救われたのです」
自分の手がけた商品がどこかで誰かの役に立っている。商品企画の仕事にはそんな充実感があった。だが、久森さんにはその先に自分のキャリアを思い悩む時期が訪れた。
「君は何のために仕事をしているのか」
きっかけは入社15年目のこと。アメリカの食品会社との新規事業が進み、マーケティングの実績がある久森さんもタスクフォースの一員に抜擢された。だが、5人のメンバー中で海外経験がないのは自分一人。英語は得意ではなく、先方とのディスカッションでは伝えたいことを言葉にできないもどかしさを痛感する。自分の無力さを感じながら、いよいよアメリカ出張へ。その際、インド人の社長に予期せぬ問いを投げかけられた。
「社長には大きな理念があり、日本でマーケティングを担当する私と共有したかったのでしょう。最終日に私一人呼び出され、『君は何のために仕事をしているのか、達成したいゴールは何か?』と聞かれたのです。そのとき何と答えたのかは全然覚えていません。私はそれまで会社の中で与えられた役割をこなしていただけだった。自分が何のために仕事をしているなんて考えたこともなかったので……」
その答えが見つかるまでに5年ほどかかったという久森さん。その間、仕事もプライベートでも様々な変化があった。
体力勝負が限界を迎えたあと、どうキャリアを築いていくか
一人目の子どもを出産。育休から復帰するタイミングで国際事業本部へ異動し、初めて管理職に昇進した。新しい仕事を覚えながら、自分よりも経験の多いメンバーをマネジメントすることは想像以上に難しかった。国際事業で担当したのは、野菜ジュースをアジア5カ国へ輸出するためのサプライチェーンマネジメント(商品が消費者に渡るまでの生産・流通プロセス)を管理することと、SNSを活用したカゴメやカゴメ商品のブランディングやデジタルマーケティング。シンガポール、中国、タイなど、海外出張にも度々行った。その当日は子どもを寝かしつけてから空港へ行き、最終便に乗る。早朝現地へ着くと、夕方まで仕事をこなすと夜の便で帰国するという強行スケジュールだった。
そんな生活が2年間続いた後、二人目の産育休に入る。久森さんはそこで自分のキャリアを真剣に考え続けたという。
「自分のやりたいことをちゃんと見つけないと、この後職場へ戻れないと思ったのです。国際事業の仕事では現地を知りたいという思いがあったので、年8回くらい海外出張へ行っていました。それでも子どもを置いていくのは葛藤があり、ゼロ泊や一泊で出張するのは体力的にも辛かった。自分でももう無理だなと思ったので、この先にどうキャリアを築いていくかを考えなきゃいけないと上司と話していました。そうしなければ戻る場所がないという危機感もありました」