「シェルター」のその先
退院後、鳥越さんは臨床心理士によるカウンセリングを受け始めた。
臨床心理士に幼少期の記憶を語り、「取り出された子宮が恨めしそうに見えた」と話すと、心理士は、「娘2人との関係性、母親との確執、次女の消息。全てが母娘に由来するものです。うまくいかない母娘関係が、子宮を擬人化して見せたのではないでしょうか」と言った。
「放ったらかしで育った私は、娘たちのためによいと思うことは何でもやってきたつもりでした。母を反面教師にして、総菜やレトルトを使わず、おやつも手作りにこだわりました。私は自分が寂しかったから、娘たちには愛情をかけていたつもりでしたが、娘たちは愛情で溺れそうだったのかもしれません」
次女は、2020年3月に就職して家を出てから、音信不通となっていた。
「次女のことは、夫が私に支配的な対応をしたことと、私の娘への過干渉が原因ではないかと思っています。何でも知っている母親でありたいと、踏み込みすぎてしまいました。特に自分の経験上、彼氏とのことに探りを入れすぎてしまったと反省しています」
心理士は、「摘出した子宮に見た“恨めしそうな顔”は、鳥越さんの深層心理。根本にあるのはお母さんだと思います」と言った。
「私、あの頃いつもお腹をすかせていたんだよね」
子どもの頃の鳥越さんは、母親が喜ぶと思えばピアノを。自慢の子になりたくて学級委員をやり、「母のために必死で生きていた」と振り返る。
しかし、今年82歳になった母親に当時のことを問い詰めると泣き出すため、あまり過去を責められない。一度思い切って、「お母さんって料理嫌いだった? あまり作らなかったよね?」と嫌み混じりに訊ねたが、「嫌いじゃなかったわよ。ただね、あそこじゃ作りたい料理の材料がそろわなかったのよ。何にもない街だったしね」と平然と答えた。
鳥越さんが、「私、あの頃いつもお腹をすかせていたんだよね」と続けると、「あらそうなの? あんたなんて食が細くて、何か食べるか聞くと必ず『要らない』って言ってたわよ」とあっけらかん。
当時母親は、デパート巡りに出ると必ず食事して帰り、戦利品がないと不機嫌だった。そこに「お腹がすいた」と言えば、なお不機嫌が増す。だから鳥越さんたちは、大量に買い置きしてあったコーラですき腹をごまかした。母親は、何も食べていない子どもの「要らない」を真に受け、何も用意しなかったのだ。
「母は“無自覚”に“育児放棄”をしていたのだとわかりました。いっそ、『あんたが嫌いだから食事を与えなかった』と言ってくれたら、見捨てることができたのに。聞かなければよかったと、とても後悔しました」
鳥越さんが乳がんや子宮摘出で入院することが決まったとき、母親は「精がつくように」と、鰻や牛肉、サプリメントを買って持っていくよう言い、鳥越さんを驚かせた。
「母はモノでしか表現できない人。心配しているジェスチャーなんだと思います……」