一貫したその凛烈な気迫
相田の著作のすべてを読んだというある管理職は、「相田さんの作品に解決をもとめようとしても、それは無理でしょう。ぼくは作品を読むとホッとしますネ。ただ、それだけじゃないんです。なぐさめると同時に励まされているんですよ」という。
どうする
という作品があるのだが、その問いかけは実にあたたかい。それは、相田のこころの底に“おかげさまで”という、感謝の気持が流れているからだ。
「おかげさま人生」という十二章から成る作品がある。
二、落ちてくれる人のおかげで合格できる
三、負けてくれる人のおかげで勝たせてもらう
四、脇役のおかげで主役が生きる
五、職場があるから働ける
六、後輩のおかげで先輩になれる
七、子供のおかげで親になれる
八、嫁のおかげで姑になれる
九、相手(縁)がなければケンカもできぬ
十、聞いてくれる人のおかげでぐちもこぼせる
十一、下水のおかげで水も流せる
十二、読んでくれる人のおかげで書かせていただく
この考えかたをすれば、世のなかにいらないものはなくなってしまう。
相田が12年間住んだ足利の借家は、陽あたりがわるかったので、天気のよい日には、となりの農家からワラをもとめてきて、庭にワラで囲いをつくり、ムシロをなかに敷いて、そこで一家4人が朝食をとったという。
貧しいなかでも、こころを充たす本はもとめて読み、子どもたちにも、ピアノを習わせたり、学校を休ませて絵の展覧会につれていったりした。子息の一人もいっているように、「貧しかったが、精神的には豊かだった」のだ。
さかんに泡立ち
しかも少しも
濁らない
透明ないのちで
ありたい
滝壺の水のように
『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』で、息子の一人が「あとがき」に引用した相田の作品だが、この凛烈な気迫は、彼の生涯に一貫していたものである。こうした姿勢が、たくさんのひとたちを相田の作品に近づけるのであろう。
※1994年4月号のプレジデント誌にて掲載されたものを再録。肩書は当時。